実際は、どうだったか。患者が息を引き取る当日の午後、須田が土井さんの妻と交わしたという会話を、著書をもとに再現しよう。

「この管をはずしてほしいんです」
「えっ? これを抜いたら呼吸できなくて生きていけませんよ」
「わかっています」
「早ければ数分で最期になることもあるんです。奥様ひとりで決められることではないんですよ。みなさん了解してらっしゃるんですか?」
「みんなで考えたことです」

川崎市の川崎協同病院の筋弛緩(しかん)剤事件で
患者に投与された筋弛緩剤と同種のアンプル=2002年08月
川崎市の川崎協同病院の筋弛緩(しかん)剤事件で 患者に投与された筋弛緩剤と同種のアンプル=2002年08月  
 だが、裁判における供述では、土井さんの妻は、この時間帯に病院には行っていないと言った。つまり、抜管は、「医師の独断」によるものだったという判断が下された。さらに、須田にとどめを刺したのが現場に居合わせた一人の看護師の証言だった。

 その看護師は、筋弛緩剤を注射したのが自分であって、それを指示したのが主治医の須田だったと供述。ミオブロックを投与した量も、即死に至る3アンプルだと証言した。実際に投与した1アンプルの3倍だった。その状況について、須田は、ため息まじりの声を漏らして語った。

「なんで看護師が注射するんですか? 事実とまるで異なる。だから私は、最高裁まで闘いました。そんなことをしたら、本当に殺人です。医療現場で筋弛緩剤を3本も使うなんて、誰も信じないと思っていたんですけど」

 一審の横浜地裁では、妻の発言に加え、看護師の証言も採用された。しかし、2005年3月からの控訴審の東京高裁では、看護師の証言は変わらず採用されたが、家族側の証言を証拠不足で取り下げ、求刑も3年から1年6か月に減刑された。また、看護師の態度は一変し、涙ぐんで証言をする場面もあったと、須田は振り返る。

「一審の時、彼女(看護師)が私と話をしたいって言ってくれたんです。私もなぜ、彼女がそう思い込んでいるのか分からないから、喜んでというところだったのに、(病院側の)弁護士に彼女が止められたんです。控訴審に出てきたときは、一審のときとは全然喋り方が違ったので、(自らの虚偽に)気がついていたんでしょうね」

 2007年3月、須田は、控訴審判決に対する不服申し立てで、最高裁に上告した。事実審でなく法律審である最高裁では、「患者の自己決定権」や「医師の治療義務の限界」が主に審議された。それは須田を納得させる議論には至らず、2009年12月、「延命治療の中止を行ったことは法律上許されず、殺人罪に該当する」と最高裁は結論を下した。

 最高裁は「延命治療の中止は、昏睡状態にあった患者の回復をあきらめた家族からの要請によるが、その要請は余命を伝えた上でなされたものでなく、患者の推定的意思に基づかない」と判断した。これに関しては、私も頷かざるをえない。だが、SAPIO6月号に紹介した山中祥弘医師とは違って、須田は安楽死ではなく延命治療中止との認識であり、彼女の独断で投与を決めていない点も差し引く必要があるように思えた。

 もちろん、須田の話を全面的に信じれば、の話であって、真偽は分からない。皮肉にも、土井さんが他界した直後、ぜんそくの特効薬となる吸引ステロイドの新薬が導入された。これにより、ぜんそくの歴史が変わった。「あと少し早ければ、この事件も起きなかった」と、須田は苦笑いした。

◆息子の告白

 2週間後、私は、土井さんの子どもの一人が働く職場を訪ねた。入り口の扉を開けると、1人の小柄な男性が奥の廊下から、こちらに向かってくるのが見えた。土井秀夫(仮名)だった。私が、ここを訪ねた意図を説明すると、彼は、すかさず言った。

「あ、親父の話? あれはもう思い出したくないんだよ」

 だが、無理やり追い払う気配はなく、むしろ、目元には笑みが浮かんでいた。言いたいことがあるのだろうか。「絶対に書くな」と念を押す彼だったが、私は、これから伝える話が、須田や彼を巻き込んだ遺族両者を咎めるというよりも、本来は当事者のはずなのに第三者のように対応した病院側の行動を伝えるため、敢えて書くことにする。