彼は、父の死後について、渋々と話し始めた。

「俺は、あの時、仕事が忙しかったんだけど、急に病院に呼び出されてね。そりゃ、何が起きたのかまったく分かんなかったよ。何であんなことになったのかって。俺は、お袋やきょうだいからなんも聞かされていなかったから」

 秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に到った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に関する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。苛つく表情で、話を続ける。

「向こう(疎遠の家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、まったく分かんなかったんだ。そん時ね、俺、なんかおかしくねぇかって。俺は、親父の意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまった」

 当時を鮮明に思い出したのか、口数が次第に増えていく。その怒りは事後の病院対応に向かっていった。

「数年後、突然、うちに病院の関係者が4人来たんだよ。あの件について、どうか伏せていてくれとね。で、お金も持ってきたんだけど、俺は『金なんかいらねえんだよ、俺が欲しいのは親父の命なんだよ』ってね。ぶん殴ってやろうかと思いましたよ。それで、俺はこんなだから、口悪いし、短気だからさ、黙ってないんだよ。あいつらに俺は『あれって安楽死じゃねぇのか』って言ったんだよ。俺は起こったことをそのまま言うぞって言ったら、あいつら自身が病院で会見したんだよ」

保釈されタクシーで神奈川県警を後にする
須田セツ子氏=2002年12月
保釈されタクシーで神奈川県警を後にする 須田セツ子氏
=2002年12月
 おそらく前段にマスコミにリークがあり、病院側は慌てて、家族のもとへ足を運んだのだろう。病院側は、金銭の補償もちらつかせた。だが、秀夫さんには、その行動こそ、父の命を軽視していると映った。

 2002年4月19日、院長らが、記者会見を行い、「安楽死の要件は満たしていない」と発表し、謝罪した。つまり、組織防衛のために須田一人を見殺しにした形だ。秀夫さんは、他の従業員が中に入ってくると、話を打ち切った。

「今日はたまたま従業員がいないからこんなこと話せたけど、もしいたら、あんたのことを押し倒してでも追い払っていたからな」

 一家の大黒柱だった父親を失った彼の思いは、十分に伝わってきた。だが、その話を聞いて改めて思う。この事件は、本当に殺人事件として、扱われるべきものだったのか。数々の疑問が残るばかりだが、須田の結論は、こうだった。

「司法は、死を他人が導いてはいけない、と判断した。“自分で決める死”と“他人が決める死”には明確な線が引かれるべきだ、と。でも私は、必ずしもそうは思わない。自分のことを一番よく分かってくれている人を側に置いて死ねれば、それは最高だと思う。自分でない他人に(死を含める)すべてを委ねられるって、最高に幸せじゃないですか」

「自分で決める死」、つまりは「個人の死」の捉え方は、人によってさまざまだ。欧米と違い、日本では、「個人」が「家族」という土台の上に存在している。須田のいう「他人」が家族を指す場合、個人とも連なっていることになる。これらを、司法で明確に分けることは困難だろう。

 日本では、死の議論が未成熟な上、なおかつ「終末期の判断」を医師任せにしている。それが最終的に、患者や家族や医師の間で摩擦を引き起こす。延命治療を中止した医師は、訴訟になれば無罪は勝ち取れない。これこそ、日本の現状であると思う。

 私なりの最終的な答えは出た──須田がしたことは殺人ではない。

関連記事