何にせよ、認知症や老いの不安に駆られている橋田さんには「日本は最期まで住み慣れた自宅で自分らしく暮らせる国です。心配要りませんよ」とお伝えしたい。保険診療では診療所から16キロ以内しか在宅医療を提供できない。しかし、自費診療ならば可能なので、もしかなうならば主治医になってもいい。

 以上の話は尊厳死である。尊厳死とは、終末期以降に延命治療を控えて十分な緩和医療を受けて迎える最期である。安楽死は、まだ余命が半年もあるのに医師が薬物を用いて患者を死なせる行為であり、尊厳死とは全く異なる。いずれも本人の書面による意思表示、すなわちリビングウイル(LW)の存在が前提となる。日本尊厳死協会でLWを表明している人は日本人のわずか0・1%に過ぎないが、最近は介護施設や自治体が類似のLWを啓発しているので、保有率は1~2%と推定されている。それでも諸外国に比べるとひとケタ以上低い。日本人は自己決定せず、意思決定が苦手な民族である。しかし加速度的に医療技術が進歩する中、もはやそんな悠長なことは言っておられない。

 最近、政府は人生の最終段階の医療の意思決定をアドバンス・ケア・プラニング(ACP)という手法で乗り切ることを固めた。ACPとは、いざという事態に至る前、まだそこそこ元気であるときから本人の意思を引き出して、それを尊重しながら家族、そして医療・介護職が集まり何度も話し合った経緯を書面に記録しておくことである。ACPの核となるのはもちろん本人の意思、すなわちLWである。

 だが、LWが法的に担保されている先進国のなかで、担保されていないのはもはや日本くらいになった。欧米では当たり前となっている基本的人権である。国連教育科学文化機関(ユネスコ)がうたう医療における生命倫理の根幹は、本人意思の尊重である。しかし、残念ながら日本だけがそれがかなわない国のままだ。そうなると、本人の意思よりも家族の意思を優先しなければ、遺族から訴えられる可能性が出てくる。年金が多い人にはそれをあてにする子供がいるので、できるだけLWを書いておくことを勧めている。

 いずれにせよ、日本はLWが法的担保されていない国だから、どうしても過剰医療、延命医療に偏らざるを得なくなる。アジアにおいては、台湾では2000年にLWの法的担保がなされ、2回の改正を経て17年が経過した。韓国でも16年に可決され、今年11月から施行されている。LWの相談所にははや長蛇の列ができているという。

 一方、国会における尊厳死議論にも触れておきたい。「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」には超党派の約200人の国会議員が加入している。しかしこの数年間、議論自体がほぼ停止している。一昔前、マスコミに「尊厳死法案」という文字が躍ったが、誤りである。正しくは「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」、つまり「LWの法的担保の法案」という表現が正しい。
尊厳死法案について話し合う超党派の国会議員連盟の会合=2012年7月、東京・永田町
尊厳死法案について話し合う超党派の国会議員連盟の会合=2012年7月、東京・永田町
 争点となったのは「2人以上の医師が終末期であると判断すれば延命処置を中止できるのか」という点であった。ここで忘れてはならないのは、あくまで本人がLWを書き、家族の同意があるという大前提である。しかし法曹界や宗教界から法的担保への反対の声が大きい。特に障害者団体の反発が激しいため議論自体が封殺されたままで、国会への法案上程の目途はまったくたっていない。