今ここで、私は慰安婦問題を考える。私の興味あるテーマの一つである。だが、ただ単に社会的な風潮やブームに乗ろうとするわけではない。かといって、私が時宜的な状況を全く知らないわけでもない。そこに共感できるという意味では、時宜に便乗する形になっているかもしれない。しかしそれは、表面的な次元ではなく、深層に、そして真相に迫っていくべきだと思う。広く深く、人間の根本的な普遍性に迫って、戦争や性犯罪を考察したいのである。

 この「慰安婦問題」がソウルの挺身隊協議会に申告され、初めて報道されたのは1991年12月2日であった。これが韓国の反日感情を高調させたのは当然である。

 日韓関係は、良い状態も悪い状態も、それほど長く続かない。韓国の反日感情は主に、日本向けというより国内的なものであるが、それに日本が過剰に反応し、メディアを使って増幅させるという傾向が著しい。つまり、日本人が「逆輸入」して利用するということがいえるのである。これが慰安婦問題を難しくし、さらに一部の人間を面白がらせるという傾向さえある。
ソウルの日本大使館前で開かれた恒例の「水曜集会」で、慰安婦問題を巡る日韓合意の破棄を訴える参加者たち=2018年1月(共同)
ソウルの日本大使館前で開かれた恒例の「水曜集会」で、慰安婦問題を巡る日韓合意の破棄を訴える参加者たち=2018年1月(共同)
 こうした状況の中、私はこの「慰安所帳場人」の日記を検討する。この日記は、ある朝鮮人が、終戦直前にビルマ(現在のミャンマー)とシンガポールで書いた日記である。個人の日記ではあるが、「慰安所日誌」ともいえるものである。先述の通り、私はこれを、慰安婦の本質を知る上で非常に貴重な資料だと思っている。

 この日記については、日韓に相反する意見がある。韓国では、日本軍による朝鮮人女性の強制動員の決定的資料だとされている。しかし、この日記には慰安婦の募集の過程が書かれておらず、強制連行、軍が業者に強制して連れて行った、などということには、一切触れていない。この日記からは、それは読み取れないのである。だから、この日記をもとにした「戦時動員の一環として組織的に強制連行を行った」という主張は、早過ぎる結論である。

 慰安婦問題に関する多くの戦争中の軍関連文書が発掘されても、慰安婦が日本軍の「従軍」であったという説には、なかなか納得いかない点がある。植民地化や戦争を行った大日本帝国の軍隊が、本当に軍の組織の中に慰安婦制度を作ったのだろうか、という疑問があり、戦時中の軍による文書を読んでも、そのあたりの判断がつき難かった。また、「慰安婦か売春婦か」という議論も古くからある。

 そもそも「慰安」とは何だろう。慰安とは心をなぐさめることであり、「慰安旅行」という言葉は、いまだに使われている。戦争中は病院でも慰安をしたし、私は、傷病兵に慰問の手紙や慰問袋を送った事を覚えている。慰安婦関連文書の中にも、「慰安」と「慰問」の区別が曖昧なものは多い。また、元慰安婦たちの証言も、直接、間接的に聞いたが、完全に信頼するまでには至らなかった。私は、朝鮮戦争時に自分の目で中国支援軍、国連軍、韓国軍を観察した経験からも、そうした慰安婦関連文書に確固たる信念を持てなかった。