慰安婦と烈女


 ここまで何度か、私の経験をもとに朝鮮戦争時の慰安婦について触れたが、実際には「慰安婦」という言葉は、全く使われていなかった。韓国では、「慰安婦」ではなく、「洋セクシー」「洋公主」などと呼ばれた。

 一般用語としては「売春婦」であったが、韓国で「慰安婦」が多く使われるようになったのは、恐らく日本からの影響であると思う。韓国では現在、慰安婦は被害者から愛国者へと変換され、民族的英雄のように銅像が建てられ、拝まれているが、実はその現象は、新しいものではない。日本人「倭」の犠牲になった妓生(キーセン)の「論介」が、民族的英雄、そしてさらに昇格されて、神になっている。慶尚南道晋州には、この妓生の論介を祀る堂「義妓祠」がある。彼女は、韓国を守るために敵の日本軍の武将を抱いて川に投身したと言われており、肖像画も祀られている。

 豊臣秀吉が朝鮮出兵した壬辰倭乱の時には、日本の将兵たちが朝鮮の女性の貞操を汚したことへの憤怒と怨念で、烈女門が多く立てられた(烈女とは、夫以外に性関係を持たない女性のこと)。それは、蒙古の侵略に際して処女を供出したことに憤慨した事と同様である。だが、韓国では、儒教によって女性の貞操は強調された反面、男性に関しては、ほぼ放任された。私はここで、この韓国の歴史的「烈女」像の伝統から、慰安婦問題を考えてみたい。
平壌にあった妓生学校(Wikimedia Commons)
平壌にあった妓生学校(Wikimedia Commons)
 日本の太平洋戦争は、植民地諸国の領域を越えて、東南アジアなど広大な地域に拡大していった。太平洋戦争の最終期に朝鮮は、戦場ではない後方(銃後)の地として徴用、徴兵などで動員され、ものや人が収奪された。それが戦後処理問題として残っており、現在まで日韓関係を難しくしている。慰安婦問題も、その一つである。

 しかし、なぜそれが、植民地あるいは戦争被害の第一義的な、象徴的なものになったのであろうか。多くの韓国人は、少女像(慰安婦像)を見ながら、「女性の貞操を奪った日本人は悪い」と思い、場合によっては「許せない」と激しく非難する。本書の読者には唐突な話に聞こえるかもしれないが、私はこの少女像を見ながら、朝鮮王朝時代に女性の貞操を強調する政策として建てられた「烈女門」を想像するのである。烈女門は、当時の政治秩序と社会安定のためのものであった。

 ではこの、少女、烈女、慰安婦は、何を意味するのだろうか。少女と烈女は貞操を意味する。私は、烈女門の変身として少女像を見ている。慰安婦は、貞操が犯された、汚れた女性を指す。それを日韓に相応してみると、日本は悪の植民者、韓国は善なる被植民者、つまり、悪の日本人が善なる韓国人の女性の貞操を奪ったということになるわけである。それは、反日以前の、原初的な韓国社会の特質といえる。