江戸相撲の一行が、小田原で巡業したときのことです。小田原に大岩というならず者がいました。この大岩が、地元で大関を張っていて、これがメチャクチャ強くて、江戸力士が挑んでもまるで歯が立ちません。ですから大岩は、江戸力士を頭から小馬鹿にしていました。

 そんな大岩に、かつて投げ殺された力士の遺族から、雷電は「なんとしても仇討ちを」と頼まれました。雷電は、大群衆の見守る中で、大岩と土俵で対決することになりました。両者は、互いに土俵の上で激突しました。このとき雷電は、大岩にもっとも都合のよい組み手を意図して取らせました。「雷電不利!」と見ている誰もが思いました。

 そのとき、おもむろに大岩の腕の外側から自分の腕をまわした雷電は、そのまま大岩の両腕を絞め上げました。相撲の荒業、閂(かんぬき)です。そしてそのまま大岩の両腕の骨を砕くと、激痛におののく大岩を土俵の外に振り飛ばしました。

 このように、雷電は、あまりに強すぎたため、ハンデを負わされました。「張り手」「鉄砲」「閂(かんぬき)」。この3つの技が雷電にだけ、禁じられたのです。それでいて、勝率96パーセントという脅威の成績を残したのですから、いかに雷電が強かったが、わかります。

 その後、雷電為右衛門は、現役力士のまま、出雲国松江藩の松平家のお抱え力士になり、文政8(1825)年、雷電は、59歳で短い命を終えました。

 日本武道の精神は「心・技・体」です。何ものにも負けない強い心を鍛え、そのために技を磨き、結果として体力が身につくとされます。

 西洋の格闘技は、「力と技」です。筋力があり、技がきれて、試合に勝てればそれで良い。人柄は問題になりません。だから試合に勝つと、リングのコーナーロープに登って、ガッツポーズをして猛獣のように吼(ほ)えます。それはそれで興行としては面白いのかもしれません。

 しかし、どんなに試合に勝ったとしても、心が貧しくて人格が歪んでいたら、それでは人間として失格です。日本武道では、試合に勝つことよりも、己に厳しい心を涵養(かんよう)することが奨励されました。だから最強の力士には、最高の人格が求められました。雷電の勝ち手は常に壮絶なものだったけれど、彼は勝って奢らず、敗者にも実に謙虚にやさしく接した力士でした。

 試合は、いつだって勝ち負けがあるものです。雷電だって、生涯勝ち続けたわけではなく、少なくとも10番は負け勝負があります。勝つことは、もちろん大事なことです。しかし「勝つ」というのは、何も試合に勝つことだけを意味するのではありません。
出雲大社で土俵入りを披露する大相撲の横綱、白鵬=2013年10月 23日
出雲大社で土俵入りを披露する大相撲の横綱、白鵬=2013年10月23日 
 最近では、勝った力士がガッツポーズをとってもいい、などと言う評論家もいるようですが、それは間違っています。勝ってなお、三度を切って奢らない。自分で誇らなくたって、ちゃんとお客さんは見てくれているのです。それが日本の武人です。

 雷電が6年間も親方から幕内出場を許されなかったことで、雷電は人として成長し、誰にも負けない実績を残し、逝去してすでに200年も経っているのに、雷電をしのぐ力士が現れないほどの大物になりました。

 それは雷電の試合での強さばかりではなく、親方に鍛えられた心の成果です。そして、これこそ日本相撲が、日本人の誰からも愛され続けた原点なのです。2千年以上も長い伝統を持った相撲をこれからも日本人として大切にしていかなければならないと、切に思います。