第三に、格の違いが整合化された時代ではなくなったという点を指摘しておきたい。野球でも、1軍と2軍、プロ野球と草野球の違いは歴然としている。繁栄の時代には、週刊誌はマスコミの中では二流であり、いわば「日陰者」の立場にあった。堅気の人間は、そこに掲載された記事など信用せず、話題に上らせることすら恥だとされた。ところが、その週刊誌記事が大マスコミ以上に世の中を動かす時代になり、全国紙もテレビもその後追いに走るという奇妙な状況になってしまった。

 テレビのワイドショーは、不況で制作費が不足しているのか、週刊誌報道を元ネタにして番組を作り、不倫スキャンダルを全国に広める役回りになり下がった。世間の人も、週刊誌を買えば400円程度の出費になるが、テレビは無料である。

 「日陰者」が日の当たるところに出て、大手を振って公道を歩くような時代は尋常ではない。たとえは悪いが、極道がマスコミに出て自らの仁義を開陳するようなことがあれば、それはもはや極道ではない。

 その点では、不倫疑惑を報じる週刊誌などはパパラッチと同じである。大義や正義があるわけではない。読者や視聴者の好奇心を刺激して金もうけをたくらんでいるだけの話である。しかも、パパラッチ以上に始末に負えないのは、検察官であるかのように正義を振りかざし、不倫の当事者を断罪しようとすることである。

 取材した記者は、実名を公開し、顔を全国にさらすわけでもない。陰に隠れて書いている。だから「日陰者」なのであり、そう言われるのが嫌ならば、正々堂々とテレビの画面に顔を出し、名を名乗ればよいだけの話である。自分が他人を断罪できるほど、品行方正な道徳人とでも思っているのであろうか。

 第四は、ネット社会の到来である。みんなが元気に前を向いて進んでいた高度経済成長時代には、インターネットは存在していなかった。今のツイッターと異なり、つぶやいても周りの数人にしか届かない。むろん、発信者が誰かもすぐ分かる。

週刊文春に不倫疑惑を書かれたことを受けて開いた会見で芸能界引退を表明した小室哲哉=エイベックスビル
会見で芸能界引退を表明した小室哲哉氏=2018年1月19日、
エイベックスビル
 しかし、今はネット全盛時代である。匿名でツイートする個人的意見や、偏向どころか嘘の情報が大手を振って世間に流れていく。そして、その真偽も確かめられないまま、世論形成に一定の影響力を持ってくる。フェイクニュースの大御所、トランプ米大統領が「フェイクニュース大賞」を発表するという皮肉な時代である。

 今回の小室報道は、「文春砲」の成功に酔いしれた週刊文春が、大衆の反発を招き、逆噴射して自らに襲いかかったものである。小室氏の引退表明がなければ、そうはならなかったかもしれないが、週刊誌の居丈高な臆測記事でひとつの才能が消されていくことに、大衆は大きな怒りを感じたのである。金もうけ目当ての、この程度の不倫記事で優秀な人材が活躍の場を失われるような非生産的なことは、「もうやめたらどうか」という思いが、世の中の主流となってきているとすれば、それは健全な流れであろう。

 第五に、日本は法治国家ではなく、相変わらず「空気」に支配される国だということである。日本国憲法31条は「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めてある。姦通(かんつう)罪があった時代ならいざ知らず、小室氏とその「愛人」は刑法を犯したわけでもない。それにもかかわらず、「法律の定める手続き」ではなく、週刊誌が作り出す空気や世論によって断罪されるとすれば、日本は法治国家の資格がない。

 今回の騒動が、憲法が国民に保証する基本的人権の大切さをみんなに知らせたことの意義は大きい。