このような心理は決して不健康なことではない。心理学では自己肯定感や自尊感情を保つことが重要であるといわれているが、自分を守る行為は日々心身ともに健康に生きていくためには必要な営みだ。むしろ日本人は、世界的に見ても自己評価が圧倒的に低い傾向にあるので、心理的な課題といってもよい。2015年の国立青少年教育振興機構の調査によると「自分はダメな人間だと思うことがあるか?」という問いに対して実に7割から8割の高校生が「そう思う」と答えているほどだ。

 本来は、絶対評価、つまり自分の中だけで自分を肯定的に評価できるのが理想である。他人がどうあれ、「自分はこれだけできた」、「自分のこの部分は誰にも負けない」と感じられればよいのだが、そもそも自己評価が相対評価にならざるを得ない理由は、日本の社会文化的背景に起因している面がある。

 良くも悪くも、日本は実力主義にはなりきれないところがある。例えばそれは教育にもよく表れていて、過去の詰め込み型教育への反省から、知識や技術の高さだけではなく、数字では測れない人間の側面を評価しすぎる面があるのだ。

 例えばそれは「学習態度」であったり、物事に対する「意欲」であったり、課題に向き合う「姿勢」であったりする。実はこれらは全てテストの点数のような客観指標ではなく、「○○君は○○さんよりも授業の態度がよい」といったように、他者との比較で評価されるものなのである。その結果、子供たちは異様に他者を意識するようになったとも指摘されている。

 そして大人になり、社会人になり、自身のアイデンティティーが確立すればするほど、自分の価値を意識せざるを得ない場面が増えてくる。職業人として、家庭人としてなど、複雑でさまざまな役割を同時にこなす日々の中で、次第に明確な自分との比較対象を見いだしにくくなる。その中で、「問題を起こした芸能人・有名人」は、たとえ一時的にでも「自分より充実した人生を送れていない他人」として、格好のターゲットになるのだ。
週刊誌が並ぶJR東日本の駅売店「キオスク」=2005年2月撮影
週刊誌が並ぶJR東日本の駅売店「キオスク」=2005年2月撮影
 本質的には、自己肯定感は相対評価の中では高められにくい。幼少のころから育まれてきた他人との比較の中でかりそめの安心感を得る行為が、他の対象において見いだせない限り、スキャンダル報道への心理的な需要はなくならないのかもしれない。