社会学者の小室直樹氏
 その一方で、文科省はPISAショックに対し、順位が低下したとはいえないとする見解を表明しています。文科省のホームページにも掲載されている「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2003年調査国際結果の要約」によれば、数学的リテラシーと科学的リテラシーについては、2000年と2003年ともに1位と有意差のない得点(1位グループ)です。また、読解力に関しても、両年ともに1位と有意差のある二位グループだとしています。つまり、統計学的な見地からは順位変動が認められないと発表しているわけです。

 しかし、「ゆとり教育=悪」の空気が形成されるや否や、先述のとおり文科省は脱ゆとりの旗印を鮮明にし、当時の馳浩文科相が「ゆとり教育との決別」を発表するに至りました。文科省の言い分を振り返ると「ゆとり教育によって学力が低下したとはいえないけど、ゆとり教育は悪いからやめる」という話になり、あまりにも支離滅裂です。これほど非論理的な振る舞いをしてしまえば、日本の教育政策は論理ではなく空気で動いているといわれても仕方ないでしょう。非論理的としか言いようのない安易な教育改革が繰り返されるのも、空気に従っていると考えれば納得できます。

 今回の入試改革も、マークシートではなく記述試験ならよいだろうという、非常に安直な発想からスタートしています。もし、受け身の姿勢で攻略できてしまう知識偏重の入試を改善したければ、なぜ入試は知識偏重になってしまうかを徹底的に検証しなくてはならないはずです。でも、そうした作業は不十分なまま改革の議論は始まり、今日に至ってしまいました。

 では、なぜ入試は知識偏重になってしまうのでしょうか。まずは知る人ぞ知る在野の天才、社会学者の小室直樹氏の入試分析を紹介し、知識偏重になってしまう理由を考えていきます。

 だが、この種の難問は、とうてい一般向きの入試用には役立ち得まい。初等幾何(筆者注:図形問題)の難問に取り組んだことがある人なら、だれでも思い出すように、その解決のためには、実に、ただ一本の補助線を思いつくかどうかが決定的となって、短期間の試験においては、あまりにも大きな偶然に左右されやすいからである。

 このような本格的難問が入試には不向きであるため、入試のためには、「平易な難問」が人工的に用意されなければならないことになる。「平易な難問」とは、きわめて平易な事項が複雑にからみ合って合成されて出来てくる問題のことをいう。このような問題を解くためには、インスピレーションによってすばらしい補助線を思いつくといったような、発見的な頭脳活動は少しも要求されない。そのかわりに要求されるのは、平易な事項を多く暗記して、条件反射的にこれらを組み合わせる能力である。このような理由から、入試に出題される「平易な難問」を解くためには、数学的訓練とはほとんど無関係な訓練――暗記と特定の形式の盲目的適応――が要求されるようにならざるを得ない。