フィギュアスケート男子ショートプログラムで66年ぶりの五輪連覇を狙う羽生結弦が、圧巻の滑りで首位に立った。2分50秒の演技中に流れた曲は、ショパンのピアノ曲「バラード第一番」。今季が3シーズン目の使用となるこの曲は、3度の世界記録を出した勝負曲であり、羽生自身が「最も心地よい」と語る相性ぴったりの曲でもある。なぜショパンと羽生の相性はいいのか。ショパン研究家で国立音大大学院の加藤一郎准教授(61)に話を聞いた。

 音楽史上で「バラード」という名前をつけて曲を作ったのは、ショパンが初めてでした。19世紀初頭、ヨーロッパでは文学の世界でバラード(物語詩)が流行りましたが、ショパンはそれを音楽に取り入れ、ロマン派と民族主義を融合させた「バラード」の様式を打ち立てました。

 ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩集をショパンは15、16歳のころに読んだ、と後にシューマンが本に記しています。バラードは計4曲あり、いずれも現実には起こらないようなドラマティックなストーリーです。湖に棲む人魚と、それに恋した狩人の物語。人魚は人間の女性に化身して狩人の心を奪い、最後は湖の中に引きずり込む、といった毒のある部分もあります。

 詩の内容をそのまま音楽に描写したということではないでしょうが、ショパンが詩を読んだときのインスピレーション、イメージや情景を音楽化したということは容易に考えられます。

 ショパンが書いた4曲のバラードのうち、『第一番』は20代半ばごろの作品といわれていますが、それまでにいろんな詩を読んでいて、詩からインスピレーションを得て、英雄的な要素、物語の持つ神秘的な要素、自分の民族や伝統をこよなく愛し、それを侵略者から守る、というような強い思いがにじんでいるのが特徴です。

 ポーランドは悲劇的な国で、ショパンが生きた19世紀初めごろは、ロシア、ドイツ、プロシアによって3国分割されていました。ショパンに限らず、時代に翻弄された芸術家が民族の伝統を受け継ぐために作品を残した例はいくらでもあります。当時はロマン派と民族主義が合体していたとはいえ、ショパンも一人の人間ですから、感情的に民族主義がどうしても強く出る。祖国の英雄を敬うなど、きっといろんな感情が含まれていたのだと思います。

演技する羽生結弦=江陵(共同)
演技する羽生結弦=江陵(共同)
 バラードは、ショパンがもともと持っていた優雅さ、洗練、物語詩というものが融合した世界です。特に『第一番』は若々しくて、英雄の持つ強さ、壮大さがあって、しかもそれに対する敬愛の念が深い。この優雅さや気品は、羽生選手のスケーティングを見ていると、技のキレや、立ち姿ともぴったり合う。ただ、4回転を飛べばいいというのではなく、前後の流れとか、非常に気品があって、ただ力任せで滑っているのとは、まるで違うように思います。

 もともとこの曲は9分半ありますが、曲の初めは前口上のような序章です。それが「次に何が始まるのか?」と問いかけるような響きに変わっていく。その後、ノーブルな、テンポの遅い「大人のワルツ」が始まります。子どもが弾くような子犬のワルツじゃなくて、ほの暗い、叙情的な、大人のワルツ。静かな旋律でも、それがだんだん変化を遂げていく。ショパンの場合、変幻自在のパッセージワークも魅力の一つです。音の移ろい、終わった後、次のテーマがしんみりと出てくる。吟遊詩人がリュートを弾くような、私的なメロディが出てきて、暗く激しくなる。

 羽生選手の演技では、9分半の曲を2分40秒程度に編集しているので、曲の一部が急に飛んでしまったり、不自然さを感じる部分もありますが、重要なところはちゃんと使っているので、ショパンらしさを感じることができます。