最初は、CSFBサイドだけが売却し、住友グループは引き続き50%保有して、新しい株主と合弁にするという話だったのだが、買い手の候補に消費者金融の名前が挙がっていた。まさか、住友金融グループが「サラ金」と合弁会社を作るわけにはいかない。

 今は堂々と「サラ金」をグループの一員にして恥じない形にはなっているが、当時は「サラ金なんて」という時代だった。しかし、アメリカ側の「売る」と言う意見は変わらない。それなら日本側も売ろうということになった。100%売れば、売り先に関しても意見が言えるし、決定のプロセスにも口が挟める。おまけに、コントロール・プレミアム(企業を支配する株主が保有する支配権に相当する価値)がつくので、高く売れるのではないかという思惑もあった。

 当時から、ビッドには数社応募して競り合いになることが多かった。日本のDLJディレクト証券も例外ではなく、当時2、3社のビッドになっていた。ビッドの日は10月末。それは、絶妙のタイミングだった。もし、三木谷とポイントの件で面会するのが7月か8月中だったら、身売り話はまだ出ていなかっただろう。仮に10月でなく、もっと後だったらビッドは終わっていた。これしかないというタイミングだったのである。そういう意味では、三木谷とのアポがなかなか入らなかったのは、良かったのではないかと思う

 当時の三井住友銀行は西川頭取体制下で、さくら銀行との合併を推進した西川は絶大なる力を持っていた。私はまず西川の意向を確認しようと思った。当時の本店は大手町ではなく、三井銀行本店のあった日比谷公園の前である。10月9日に、その頭取室に行き、西川に面会した。

 「楽天が買いたいと言っている」と言うと、

 「そうか。楽天という手があったか!」

 文字通り、膝をたたいたのである。

 「楽天以外には、売らない」
 「しかし、頭取、これはビッドです。一番高い値段を提示したところに行くんですよ。この点は、いいですね」

DLJディレクトSFG証券から「楽天証券」への社名変更で記者会見する同社の三木谷浩史会長(左)と国重惇史社長※ともに当時=2004年7月、大阪市北区の大阪国際会議場
DLJディレクトSFG証券から「楽天証券」への社名変更で会見する三木谷浩史会長(左)と国重惇史社長※ともに当時=2004年7月、大阪市
 私は念を押したが、西川はほとんど私の話を聞いていなかった。10月24日に、三木谷―西川会談をセットした。そこで三木谷は、爺(じじい)キラーの面目躍如ぶりを発揮して、西川の心をつかんだ。三木谷が出店店舗の勧誘に行く時、直前に腕立て伏せをして、いかにも走って来たかのように振る舞うという逸話があるが、お辞儀の角度をどうするか、何度も練習する姿を見て感心した。――私にはとてもできないな、と。

 DD(売り手の事業の価値やリスクの精査)もそこそこに10月末に入札した。当時はマネックス、松井証券、SBI証券は上場していた。そこから割り出すと、310億円が攻防ラインと思われていた。

 三木谷は「DDなんか、どうでもいいんですよ。取締役会はあるけど私の意向通りになりますよ」

 その言葉通り、取締役会も了解し、DLJ証券は晴れて楽天グループの一員になった。これが、楽天証券(DLJ証券から楽天証券に名称変更)取得の一部始終である。あれから14年。楽天金融事業の柱として、大きく育ったなとつくづく思う。(文中敬称略)