次に、韓国の公式見解であるが、韓国政府は1696(元禄9)年に鳥取藩に渡来した安龍福(アン・ヨンボク)らが「鬱陵島と竹島は朝鮮の領土だ」と言ったというが、池内氏はその主張を肯定していない。

 以上は一例だが、このような史実が池内氏のような研究者によって積み重ねられており、多くの両国の国民が知る必要がある。ところが、両国民とも最新の歴史学の成果について学ぼうとしない。しかも、その度合いは、韓国人よりも日本人の方が弱いかもしれない。知識は韓国政府の公式見解をそのまま踏襲しているとはいえ、『独島はわが地』を合唱する韓国人の方が、まだ関心だけなら強いのである。

 第二に、領土を持つということがどんな意味を持つかを真剣に考えるべきである。まずは、国民が生産し、生活する場所を持つということである。
2016年春から使われた中学校教科書の検定結果を受け、尖閣諸島など領土をめぐる問題について多く記載されている各社の教科書(大西正純撮影)
2016年春から使われた中学校教科書の検定結果を受け、尖閣諸島など領土をめぐる問題について多く記載されている各社の教科書(大西正純撮影)
 つまり、シベリアやサハラ砂漠のように、いかに広くても生産や生活に適さない所がある。そのような領土を持つことは経済合理性を欠く。ただし、そこに石油などの天然資源が埋蔵されていれば、富を得ることになるので、話は別である。尖閣諸島の周辺に石油などの鉱物資源が眠っているという報道がなされると、中国がにわかにこの島々の領有権を主張し始めたことはその代表例だ。

 さらに、海の場合は排他的経済水域(EEZ)にも関わり、漁業資源の獲得という経済的プラスもある。また、領土問題はナショナリズムを高揚させる道具として使うことができる。

 また、重厚長大から軽薄短小へと産業構造が変化している今日、経済活動のために広大な土地は必要ない。だからこそ、領土が生み出す富と領土を管理するコストを冷静に比較する必要がある。

 具体的な歴史的経験を振り返ってみよう。第二次世界大戦で日独伊は負け、米英仏は勝った。しかし、負けた方も繁栄している。敗戦によって広大な領土を失ったおかげである。

 もし、大日本帝国が存在していたら、海外領土の維持管理に莫大(ばくだい)なコストがかかっていたはずである。私は東京大学ではなく、ソウル、台北などの帝国大学で教鞭(きょうべん)をとっていたかもしれないし、警察官は東南アジアのどこかの交番で勤務していたかもしれない。むろん強大な軍事力も維持し続けねばならなかったであろう。