一方、戦勝国のフランスは戦後、アルジェリアなどで植民地独立戦争に悩まされ、多くの犠牲を払った。英国もコモンウェルス(旧英連邦)との関係で同じような経験をした。第二次大戦後の米国は「世界の警察官」として、平和維持のために巨額の予算を使っている。

 いわば「住居」と同じであり、広大な邸宅の維持管理コストは大きい。こぢんまりとした家の方が掃除の手間もかからないというわけだ。

 日独伊は敗戦のおかげで、領土維持や軍備のためのカネとエネルギーを経済活動に注ぐことができたのであり、それが戦後の繁栄を生んだといえよう。まさに「敗戦のススメ」であり、「戦争は負ける方がよい」「広い領土は持たない方がよい」と言えることもあるのである。

 第三に、第二次世界大戦の戦後処理についてみると、1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ平和条約では、竹島が日本の放棄する領土とはなっていない。これは当時、ディーン・ラスク米国務次官補も韓国政府に対して明言していることだ。

 したがって、1905年以降は国際法上、竹島は日本の領土である。それを近代以前、例えば20世紀以前から「日本固有の領土だ」などと言わない方がよい。江戸時代の資料から主張に反する解釈があることが分かっているからであり、相手の土俵に乗る必要はあるまい。

 結局、日韓両国とも自分に都合の良い主張ばかりを繰り返し、問題解決の糸口すら見いだせないので、竹島問題は「棚上げ状態」に陥っている。

 江戸時代の1695(元禄8)年12月25日、老中阿部豊後守正武は鬱陵島や竹島について、対馬藩家老の平田直右衛門に「鮑(あわび)取りに行くだけの無益な島のごときで、日本と朝鮮の両国関係がもつれてしまい、ねじれた関係が解けずに凝り固まって、これまで継続してきた友好関係が断絶するのもよくなかろう」と喝破している。

 1962年10月、韓国の金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長は、池田勇人首相や大平正芳外相との会談の席で「カモメが糞(ふん)をしているだけの竹島など爆破してなくしてしまおう」と提案したという。ともに領土問題をめぐる係争のデメリットを正確に認識した発言といえよう。
1998年11月、鹿児島市内での会談前に小渕恵三首相(右)と握手する韓国の金鍾泌首相
1998年11月、鹿児島市内での会談前に小渕恵三首相(右)と握手する韓国の金鍾泌首相
「…『緊急情報です』というラジオのニュース。アナウンサーが震える声で、『北朝鮮が発射したミサイル数発が標的を誤り、竹島に命中、島は岩一つ残らず海中に沈んでしまいました』と繰り返した」。金正恩の独裁体制を分析する論文を書きながらうたた寝したら、思わずそんな夢を見てしまった。