ここで信長はある行動に出るのだが、それが本稿のテーマに大きく関係するものなので注目していただきたい。

「熱田社に参詣し、謹んで伏し拝んだ」。

 これが熱田で信長がとった行動だ。記されているのは『甫庵信長記』という、やや信憑(しんぴょう)性に欠ける部分がある史料だ。ところが、現在の熱田神宮にも、信長がこのとき戦勝祈願をおこない、めでたく勝利をおさめた後で寄進したと伝わる「信長塀」が現存している。信長がここで参拝したというのは事実と考えてよいだろう。兵が集まって来るのを待つついでに参拝したと解釈しても良いが、実はここに深い意味があったのだ。
熱田神宮
熱田神宮
 信長が祈りをささげた熱田社の神とは、いったい何か。それは「熱田大神」と呼ばれる。これは天照大神を意味するといわれているのだが、そのご神体が問題だ。

「草薙剣(クサナギノツルギ)」。

 第3回で紹介したように草薙剣は天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)とも呼ばれ、神話時代に素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を斃(たお)してその体内(尻尾)から得た剣、すなわち大蛇(オロチ)の力そのものといえる聖剣である。素戔嗚尊はこれを姉の天照大神に献上し、彼自身も熱田社の副祭神とされた。

 早い時期から蛇信仰に傾倒してきた信長は、人生の大一番に臨んで熱田社の大蛇(オロチ)に祈りをささげたことになる。当然、それはついでなどというものではなく、全身全霊をかけた真剣なものだったはずだ。

 とはいえ、彼が大蛇(オロチ)に祈ったものは、ただ単に「我に勝利を与え給え」という、単純な、そして曖昧模糊(もこ)としたものでもなかっただろう。大蛇(オロチ)が何の神か、ということをもう一度思い出していただきたい。そう、水の神、雨の神である。これが今回のキーとなる。

 熱田社で必死の祈りを終えた信長が拝殿から出てきたとき、その傘下の軍勢は1000とも2000ともいう数に膨らんでいた。前線に貼り付いている兵を合わせると、2500という全体の数に限りなく近くなるから、おおよそそれぐらいの兵が熱田にそろったのは確かだ。

 そして、信長は正午過ぎには桶狭間の近くの善照寺砦まで軍勢を進めた。さらに家老衆の制止を振り切って中島砦に入り、義元が本陣を構えた「おけはざま山」(『信長公記』)と指呼の間に自身を置く。そして、ついには中島砦さえも出て、おけはざま山に連なる一帯の小丘陵の際まで接近したのだ。