こうした状況で中国人の「総意」を知ることは極めて困難だが、第一に抑えておくべきは、大多数が政治に無関心という点だろう。自分とは関係ない政治の話よりも、仕事に関する情報や娯楽に関する話のほうが気になるのは、中国人のみならず全世界の人々に共通ではないだろうか。政治の話に興味を持つ人の中でも、小難しい政策論よりも、「**という政治家が愛人を作っていて…」というゴシップを楽しんでいる人のほうが多数だ。

 その上で政治に関心を持つ一部の人々にとって、改憲はどのように受け止められているかという話を考えてみよう。2000年代、ネット掲示板、ブログ、SNSと新たな発信ツールが次々登場する中で、政府批判はネットユーザーにとっては一種のトレンドであった。大学生を含め、教養ある者にとっては政府の問題を批判し揶揄するのが当然という風潮があった。

中国共産党の習近平総書記(右)と毛沢東の肖像が描かれた
乗用車内に飾るお守り。北京市内の公園で販売されている(共同)
 現在ではこうした風潮はすっかり消え去ってしまった。一つには習近平政権になってからというもの、検閲や摘発の範囲を拡大したことがあげられる。以前ならばデモやストライキの呼びかけや最高指導者への侮辱などの取り締まりに限定されていた検閲や摘発を拡大した。

 もう一つは、中国の高度成長を生み出した中国共産党の支配に対して理解を示す人が増えてきたためだ。以前ならば、政府批判は教養ある者にとっては当然のふるまいだったのだが、最近では逆に批判者を揚げ足取りだとたたくようなムードもある。こうした新たなトレンドの中でも、私が注目しているのが仕事や留学で海外の民主主義国での生活経験を持つ中国人による共産党支持だ。

 海外在住の中国人ですらも洗脳が解けないほど中国共産党による統治が高度化した…という話ではない。

 「憧れの先進国、民主主義国」だったはずが、実際に住んでみると社会問題は山積みだ。汚職もあるし格差もある。民主主義によって英明な指導者が生まれるかと思いきや、どちらかという衆愚の側面が目立ってしまう。「人権はないかもしれないが、強引に人民生活を向上させている中国のほうがまだましではなかろうか。少なくとも欧米メディアに書かれているほど悪い支配ではない」との思いを抱く人が生まれているのだ。

 洗脳の結果ではなく、世界を知った上で独裁を支持する新たな世代の誕生だ。彼らからみれば、習近平がより大きな権力を握り、経済改革や汚職対策を進めることは歓迎すべき事態なのだ。

 新たな世代が改憲に対する抵抗感が薄いのは毛沢東時代を知らないことも大きいだろう。毛沢東への権力集中がどのような悲劇をもたらしたのかは歴史が示すとおり。文化大革命以後の中国の体制はそうした混乱を繰り返さないように作り上げられたものだ。習近平への権力集中が政治的混乱につながることは十分に考えられる事態と思われるが、このリスクを軽視するのは「毛沢東時代を知らない子どもたち」がゆえなのだろう。(文中敬称略)