この時は、37年と長い時間がかかった。しかし、インド洋大津波を起こしたスマトラ・アンダマン地震(2004年)の場合、8年後にアウターライズ型地震が生じている。東日本大震災から7年たち、カムチャッカ半島や千島列島で火山の爆発的噴火が起きている状況の中で、東北日本でアウターライズ型地震が発生するのは時間の問題であろう。

 仮に、このアウターライズ型地震で津波が東京湾に来た場合、東京駅、有楽町駅、品川駅周辺や銀座、築地、豊洲をはじめ下町地域を中心に水没の恐れが高い。その範囲は群馬県館林まで及ぶ可能性がある。また地上から地下街や地下鉄への階段の傾斜は約30度であり、深さ10センの水が流入するだけで年配者や女性は手すりにつかまっても階段を登れない。30センチの水では屈強な青年男性でも階段を上ることは不可能となる。

 大阪でも中心市街地は津波におそわれる地域である。また、東京ディズニーランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン、名古屋のレゴランドなど多くの観光客が集まるところでの津波に襲われやすい場所での対策は極めて重要である。

 これまでステージごとに関連性を見てきたが、巨大地震は突然起きるものではないことがわかるだろう。約2万人の人命を奪った津波が起きた東日本大震災の発生前に注目すれば、2008年6月に岩手・宮城内陸地震が発生。10年9月からは福島県中通りで、10月からは上越地方で直下型地震が頻発した。そして、11年3月9日から三陸沖を震源とした地震が連続的に起きていた。地元の研究者はこれが本震であると誤解しメディアを通して情報が流れた。

 ところが、3月11日にM9・0の地震が起き、大規模な津波が東北地方太平洋岸を中心に発生したのである。また、宮城県栗原市で震度7の揺れが記録され、揺れは非常に広域に及んだ。しかし、その周期は約5秒と長かったため、地震そのものによる住宅倒壊は少なかったのだ。他方、臨海部の地盤沈下(約50センチ)と高さ21・1メートルの津波(最大遡上高43・3メートル)が生じ、臨海部で人口の1%から最大9%の死者と行方不明者が出た。
東日本大震災 津波で流された住宅 =2011年3月、仙台市若林区(本社ヘリから)
東日本大震災 津波で流された住宅 =2011年3月、仙台市若林区(本社ヘリから)
 そしてその総数は約2万人を数えた。その後、震源は茨城県沖や福島県沖へと移動し、東京電力福島原発での事故などが問題をより深刻なものにしたのである。さらに、3月12日になると、震源は長野県北部や新潟県上・中越地方へと移っていった。このような震源の移動は、この地域で発生する地震のクセのようなものである。

 東日本大震災はしばしば869(貞観11)年に似ており、千年に一度の地震であったと言われるが、1896年に発生したプレート型地震である明治三陸地震の場合も死者と行方不明者は約2万2千人であり、大船渡市綾里湾で津波の遡上高は38・2メートルであった。震災の規模としては明治三陸地震もよく似ている。決して千年に一度の地震ではない。

 なお、1960年のチリ・バルデビア地震も、本震の前にM8・2とM7・9の地震が発生しており、突然、M9・5の地震が起きたわけではなかった。地震記録を詳細に検討すると95年の阪神大震災、2004年の中越地震、16年の熊本地震や鳥取県中部地震においても約60日前と、3日~半日前の2度にわたって、巨大地震と大地震の発生する地点で前兆となる地震がみられる。要するに巨大地震と大地震は突然起きてはいないのである。この前兆をつかまえることができれば、発生を予測・予知できるのだ。