若山滋(名古屋工業大学名誉教授)

THE PAGEより転載)
 裁量労働制に関して政府が示したデータがきわめてズサンなものであったことが問題になって、首相はこれを「働き方改革」の法案から外す決断をした。

 明らかに厚労省のミスと思われるが、単純なミスだったのか、そこに意図的な操作や捏造があったのか、にわかには判断できない。官邸の意思に沿って都合のいいデータをそろえたとも思えるが、逆に、明らかにズサンと分かるデータを提出することによって法案成立を阻む意図が働いたという推測も成り立つ。なぜならこの改革は、経済団体の要望を入れるかたちで進められ、従来の厚労省の立場とは合わないところもあるからだ。

 そしてこのところ、例の森友学園問題が新展開を見せている。

 もともとこの疑惑の焦点にあった人物が、税金事務のトップである国税庁長官に出世したことに違和感があったが、今度は、事後に公文書を書き換えたという疑惑が浮上した。事実なら由々しき問題であり、野党は内閣総辞職を迫るという。書き換え前の文書の存在を巡って紛糾しているが、加計問題で時の人となった文部科学省の前川前事務次官の発言も、官邸の指示を示すメモのあるなしに関するものから始まった。

 どちらも中央官庁における文書とデータの扱いの問題なのだ。うがった見方をすれば、現政権に対する官僚たちの反撃ともとれる。
参院予算委理事会で財務省が提出した森友学園関連の
決裁文書「原本」の写し
=2018年3月8日、国会
参院予算委理事会で財務省が提出した森友学園関連の 決裁文書「原本」の写し =2018年3月8日、国会
 これまでの政治問題は与党と官僚のタッグに野党が挑むかたちだったが、今回は、官邸と省庁、あるいは省庁と省庁、あるいは同じ省庁内部の軋轢として現れた。日本の中枢がギシギシと音を立てて軋んでいるのだ。

 筆者は、新卒一括採用、年功序列、終身雇用という日本社会の雇用習慣は、封建時代の藩のように個人を束縛する「家社会」の特質であると考えてきたので、裁量労働制が葬られるのは少し寂しい気がする。また官僚の個人的な忖度から始まった問題によって内閣が倒れるとすれば、久々の長期政権が持つ外交上の優位、日本経済のダイナミズムなどが損なわれるのではないかとも懸念する。

 野党とマスコミが、これを政局として扱おうとするのは当然であろう。しかしここではむしろ、官僚組織における文書とデータの扱い、そのズサンさに焦点を当てたい。その根底には、現政権の問題を超えて、日本社会における「情報の肥大」と「中枢の混乱」という文化的問題が横たわっているような気がするのだ。

 厚労省とデータといえば、第一次安倍内閣のときの社会保険庁における「消えた年金記録」の問題が記憶に新しい。税金にしろ年金にしろ、国民から預かったお金の記録をなくすということは、日本行政史上最大級の汚点であり、与野党逆転の最大要因はこれではなかったか。

 それまで、日本の官僚は優秀で、大臣がその省庁の仕事の詳細を知らなくても何とかなったのは、官僚の事務能力と資料の積み上げにより行政の連続性が維持されるから、とされてきた。それがこの事態である。今、日本の官僚機構に何が起きているのか。

 かつて、官庁のオフィスを覗いてみると、机の上にはたくさんの書類がのり、机の脇にはたくさんの書類袋が入ったダンボール箱が積み上げられていた。大量の文書を処理する能力に長けた日本の官僚たちは、その書類の山の中を生き生きと歩きまわっていたものだ。