小林信也(作家、スポーツライター)

 女子レスリング、伊調馨選手をめぐるパワハラ騒動に世間の注目が集まる中、告発された栄和人氏が監督を務める至学館大学の谷岡郁子学長が3月15日、学内で記者会見を開いた。この会見で谷岡学長はどんな話をされるのか、リアルタイムで送られてくる画面を見つめた。このときの自分の気持ちをあえて表現すれば、「祈る思い」に近かったように思う。なぜなら、谷岡学長には一連の騒ぎを終息に向かわせ、世間がホッとする着地点に導く力があると期待していたからだ。

 ところが会見が始まると、想像していたものとは違う一方的な発言の繰り返しだった。詳細はすでに多くのメディアで語られているが、「伊調馨は選手なんですか?」「その程度のパワーしかない人間なんです、栄和人は」といった、あまりに辛辣な言葉の数々に対し、多くの人が何を感じたか、もはや注釈するまでもないだろう。

 誤解を恐れずに言えば、谷岡学長の会見は、今回告発されたパワハラの体質、それが引いては日本社会に深くはびこっている現実をいみじくも教えてくれた。「この人自体がパワー(権力者)だよね」という声が会見後に多く聞かれたのは、その証左であろう。もしかすると、谷岡学長ご自身は、あの記者会見の中で権力者の思い上がりや驕(おご)りがあふれ、誰かを傷つけている可能性があることに気づいていないのかもしれない。

 世間が一連のパワハラ騒動に大きな関心を寄せているのは、ただの興味本位ではない。五輪で4度も感動させてくれた伊調選手と、その選手たちに寄り添い、感動の涙に笑いまで加えてくれた栄監督を案じる気持ちの方が大きいように思える。

 もし告発された内容が事実だったとしても、「栄監督は憎めない」「あれだけ感動させてくれた人だから」といった声も周囲から聞こえる。もちろん、告発が事実なら責めを受け、猛省すべきことが前提だが、むしろ世間の受け止め方は伊調選手を案じるだけでなく、騒動発覚後に体調不良を訴えた栄監督を心配する声も大きい。それほど女子レスリングのメダリストたち、それを支えてきた栄監督は「愛されている」のである。

 にもかかわらず、谷岡学長は会見の中で栄監督を擁護するような立場で語りながら、なぜか当人を慮(おもんばか)る気持ちが伝わって来なかった。「伊調馨は選手なんですか?」と言い放ったリスペクトのなさも、きっとその延長線上なのだろう。

 テレビやネットを通じて記者会見の様子を見た多くの人が、谷岡学長の発言に落胆し、憤りを覚えたに違いない。言葉は悪いが、伊調選手も栄監督も「まるで自分の所有物」のようにしか思っていない節がある。公の場では似つかわしくない言葉を連発し、むしろ本来擁護するはずだった栄監督を貶(おとし)める表現まであった。世間と谷岡学長、どっちの方が騒動の渦中にある二人を本気で心配しているだろうか。

会見の質問に考え込む至学館大の谷岡郁子学長
=2018年3月15日、愛知県大府市
会見の質問に考え込む至学館大の谷岡郁子学長 =2018年3月15日、愛知県大府市
 むろん、この問題はどちらが悪いかを裁くのが目的ではない。事実なら悲しい現実であり、絶対に改めてもらわなければならない。だが、栄監督だけを糾弾し、それで終わりとは誰も思っていない。告発された内容は度を越えてはいるが、少なからず日本のスポーツ指導者の多くが抱えている「悪しき体質」だと誰もが認識している。

 スポーツに限らず、職場でも家庭でも、同様の体質や構造が存在する。とはいえ、その悪しき体質から脱却し、今こそ新しい関係を築き上げる必要があることに日本人は気づいている。これは決して栄監督一人の問題ではない。日本社会全体が抱えた問題であり、もっと言えば「自分自身の問題でもある」と多くの人が感じているのではないだろうか。

 残念ながら、谷岡学長の会見の様子からは、ご本人にその自覚があるのか、最後まで伝わって来なかった。むしろ守るべきは、学長としての自分の立場であり、引いては至学館大学であることに終始していたように感じたのは筆者だけだろうか。