木村汎(北海道大学名誉教授)

 ロシア大統領、ウラジーミル・プーチン氏の人気は、国内で抜群といえよう。2014年春のクリミア併合以来、80%代の高支持率を維持してきた。それにもかかわらず、当のプーチン氏は、3月18日の大統領選挙で己の当選をいやが上にも確実なものにしようと躍起になっていた。

 日ごろ大胆不敵、いや傲慢(ごうまん)にすら映る同氏が、選挙前の数カ月はまるで人が変わったように慎重居士と化していた。ロシア有権者たちの支持率を些(いささ)かも下げないよう極力注意し、彼らを不本意に刺激する恐れのある言動を厳に慎んでいたのだ。本稿では、その具体例を2、3示し、次いでその理由を述べよう。
ロシアの新聞社や通信社の代表らと会談し、質問に答えるプーチン大統領=2018年1月11日、モスクワ(タス=共同)
ロシアの新聞社や通信社の代表らと会談し、質問に答えるプーチン大統領=2018年1月11日、モスクワ(タス=共同)
 まず、プーチン氏はわざわざ法令を改正してまで、大統領選挙の投票日を3月18日に特定した。3月18日こそは、4年前にプーチン氏がクリミア自治州をロシアへ編入した日に他ならない。ロシアの有権者たちがこの併合を近年のロシア外交史上最高のクリーン・ヒットと見なすのならば、そのような偉業をなしとげた人物をぜひとも再選すべし。こうアピールするための選定だった。

 次いで、国際オリンピック委員会(IOC)がロシアの平昌(ピョンチャン)冬季五輪への参加を禁じた時、プーチン氏は普段の彼からは信じられないほどの寛大な方針を打ち出した。すなわち、ロシア選手が個人資格で同大会へ参加することを政府は認めたのだ。

 さらにプーチン氏は、ヴィタリー・ムトコの降格も決定した。ムトコは、ロシアのスポーツ相時代、おそらくプーチン氏の思惑を忖度(そんたく)するあまり、国家ぐるみのドーピングを指揮した張本人だった。プーチン氏本人がスポーツ狂であるばかりか、ロシアの国威を発揚するための格好の手段として、五輪でのメダル獲得数に異常なまでの執念を示している人物である。ムトコは、このことを誰よりも熟知していた。案の定、彼はソチ冬季、リオデジャネイロ夏季五輪後に副首相へ昇格する栄に輝いた。

 ところが、その間IOCはロシアのドーピング疑惑を一向に払拭(ふっしょく)せず、ロシアが国家としての平昌冬季五輪に参加することを認めなかった。ここに及んで、さすがのプーチン氏も、ムトコを来るべき同年6~7月にロシアで開催予定のサッカー・ワールドカップの組織委員長ポストから解任せざるを得なくなった。ムトコをスケープ・ゴート、つまり「贖罪(しょくざい)のやぎ」に仕立てあげ、その代わりに己はロシア国民による批判の矛先から免れようとさえ考えたのである。