安倍晋三首相は、閣議に先立ち開かれた高齢社会対策会議で、「高齢者を含めた全ての世代の方が能力を生かし、幅広く活躍できる社会をつくることが重要だ」と述べている。マスコミでは先を見据え、「75歳現役社会」なるキーワードがちらほら目につくようになってきた。

 労働力不足を補う上でも、高齢者の労働力で不足分をカバーする「高齢者現役社会」の推進は、世の流れだ。「人生100年時代ブーム」の到来は、その動きを加速しようとしている政府にとって追い風でもある。いや、ブームの「火付け役」を買って出ているのかもしれない。昨年9月から毎月開催されている会議の名は、「人生100年時代構想会議」。その目的を「一億総活躍社会の実現」「人づくり」「人生100年時代を見据えた経済社会の在り方を構想」としている。

 私は特に、時代の流れを見越して、誰もがいくつになっても学び直しが出来、どの時点からでも新しいチャレンジが可能な社会を構築するための「人づくり」に注目している。マスコミは今後、長生きリスク的な「脅し」ではなく、「柔軟にチャレンジできる社会づくり」にフォーカスした発信を増やしていけばいいと思う。

 先日、長年のがん闘病で、わが子のように大事に思っていた会社をやむなく売却したという40代の男性にインタビューした。創業者でもある彼は、誰よりも仕事を愛した。会社を手放したくないという思いは人一倍強かったはずだ。それでも、長期にわたるがん闘病で体力は衰え、フルタイムでの仕事復帰はかなわなかった。「僕の場合、強制的に定年になったようなもの」という発言には、言葉にならない悔しさが滲んでいた。3度目のがん闘病では、骨髄移植の治療で死の淵(ふち)をさまよった。

 厳しい治療から「生還」したタイミングで「人生100年時代」のブームが来たという。かつての仕事仲間の薦めもあり、彼もこの本を手に取った。率直な感想として、「100年後のことを考えろといっても無理です。再発する可能性だってある。発熱とか、胃腸の調子が悪いとか、毎日戦いながら、1日1日乗り越えていくのに精いっぱいです」。世の中が急速に「人生100年時代」に舵を切っていることに、一抹の不安を感じていた。

 高齢になっても、長く働くのが「善」とするような拙速なギアチェンジにより、「人生100年時代」と連呼される社会は、一年一年をどう生き延びようかと必死な立場の人にとって居心地が悪い。それと同様に、100年時代を生き抜くような自活の能力を身につけろと強いられるプレッシャーもまた、おそらく多くの「普通のサラリーマン」にとっては酷だろうとも思う。
2018年2月16日、高齢社会対策会議であいさつする安倍首相
2018年2月16日、高齢社会対策会議であいさつする安倍首相
 日々、目の前の仕事に必死であり、「働き方改革」という錦の御旗もむなしく、実態は隠れ残業で長時間労働を強いられているような彼らが、さらに自分磨きまで強要されたら…。「そんなの無理!」というのが本音ではないだろうか。

 長期的視野に立つ人生設計から不老社会を説く発信は、今後も増えていくだろう。ただし、「個の啓蒙(けいもう)」と「国づくり(社会保障の制度設計)」とでは目的が異なる。だからこそ、この先「人生100年時代」という用語を目にしたら、「その発信主体は誰か」と注意深く確認することをお勧めする。