日本相撲協会という強大な組織を相手に、貴乃花親方と言えども、たった一人で戦えるはずがない。権力側が自らの権力を行使すれば、一人の情熱や正論など蹴散らされ、踏みつぶされる現実をこの数カ月で私たちは見せつけられてきた。
2018年3月、大相撲春場所を直前に控え、朝稽古に励む十両貴ノ岩
2018年3月、大相撲春場所を直前に控え、朝稽古に励む十両貴ノ岩
 何より貴乃花親方は、大切な弟子を酒席とはいえ現役の横綱に凶器を持って殴打され、重傷を負わされた被害者である。その被害者がいつしか「極悪人」のように扱われ、理事を解任された。それだけを切り取っても単純におかしい。貴乃花親方は事件を知ってすぐ警察に届けたが、協会に対しては協力しなかった。その初動対応を協会側は根に持ち、貴乃花親方への反発を強め、相撲評論家たちまでも一丸となって「親方のやり方はまずかった」と口をそろえたのである。しかし、現に相撲協会は、日馬富士の暴行を知りながら公表せず、日馬富士を土俵に上げて九州場所を開催した。その責任はなぜかうやむやになり、協会批判を繰り返した貴乃花親方だけが重い処分を科せられたのである。

 本来は第三者的な組織で、理事会側と貴乃花親方の双方から話を聞いて判断すべきだったが、裁定したのは理事会の上位組織である評議員会だった。協会の意向に沿って処分を承認したことは想像に難くない。これもおかしな話である。「パワハラ」という認識があろうとなかろうと、評議員会は本来、理事会側の言い分だけを鵜呑(うの)みにするのではなく、貴乃花親方の訴えや気持ちを存分に聞くべき立場である。それもしていない。貴乃花親方は、苦しみを訴えれば訴えるほど、否定され、非難されたのである。

 パワハラの観点から見れば、相撲協会と貴乃花は「パワハラをする側とされる側の関係」が成り立っている。規則を盾にすれば権力側はいくらでも要求し、支配し、冷遇し、心身ともに追い込むことができる。前述した新聞記事を改めて読み直せば分かると思うが、パワハラにもがき苦しむ貴乃花親方の哀切を思いやる気持ちなど、そこには一切うかがえない。メディアの多くも、日本相撲協会の片棒を担ぎ、パワハラに加担したのである。

 自業自得とばかりに、相撲協会は上から目線の通告を繰り返した。パワハラの空気が充満する役員室に足を踏み入れることが、貴乃花親方にとっては苦痛そのものだったに違いない。それなのに、そうした心情や、権力者側によって作られたハラスメントの状態が容認される。こうした認識の鈍さ、配慮のなさが、日本社会に根強くはびこるパワハラの温床だと、私たちは気づき、学ぶべきではないのだろうか。

 むろん、貴乃花親方自身は「パワハラ」という言葉を一切使っていない。それは自分の尊厳でもあり、相撲協会への思いの表れかもしれない。だが、貴乃花親方が終始訴えていたのは、権力側の不当な「パワハラ」に通じる。