佐伯順子(女性文化史研究家、同志社大大学院教授)

 ドイツを舞台にした森鴎外『文づかひ』(1892年)のヒロイン、イイダ姫は、貴族社会における結婚の不自由を嘆き、許婚(いいなずけ)に恋愛感情を抱けないため、宮仕えによって結婚を回避する。これは何も、昔の話ではない。現代の「姫」である日本の女性皇族も、個人の恋愛感情と自らの置かれた社会的立場との狭間で悩んでいるようにみえる。

 恋愛と結婚の歴史は社会的身分によってかなり違いがあり、地域社会や一般市民の間では、恋をもとにした男女の結びつきが近世以前にも存在していた。だが、個人の感情よりも家の存続が重視される大名や公家、裕福な町人となると、当事者の感情は無視して、身分や経済的バランスを考慮した政略結婚などが一般的であった。

 明治の近代化以降には、個人の自由や人権という概念が打ち出されたため、上記の歴史的背景に照らせば、一般市民よりも強く家に束縛されていた身分の高い女性にこそ、恋愛や結婚の自由による解放感がもたらされたはずであった。

 ところが、現代社会においても最後に残された「身分的束縛」というべきものが、皇族の結婚である。戦後民主主義社会においては、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」(憲法第24条)するので、皇族方も当事者の意思で自由に結婚できそうなものだが、現行制度において、皇族には選挙権や戸籍がなく、一般市民と同じ社会的位置づけではない。

 一般市民であれば、恋愛や結婚は私生活の領域にあり、親であれ親戚であれ、「両性の合意」があれば、部外者がとやかくいう筋合いはない。だが、皇族の結婚は、当事者が究極の「公人」であり、一般国民とは異なる法的立場にあるために、私的言動をこえて公的行為にならざるをえない。

 今回の秋篠宮家長女、眞子さまのご結婚は、一人の女性でありながらも究極の公人という皇族女性ならではの複雑な結婚問題が露呈したものといえる。自由恋愛とはいえ、過去の皇族女性の降嫁先は、旧家、または旧家でなくても堅実な定職があるお相手であり、国民が結婚後の生活費の心配をしなくてもよかった。
一般参賀のため、皇居へ入られる秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま=2018年1月
一般参賀のため、皇居へ入られる秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま=2018年1月
 しかし、眞子さまのお相手については、現状で十分な将来設計がみえてこないことに加え、ご実家の経済的トラブルも一部メディアに報道されたため、少なからぬ国民の間に疑問が生じてしまっている。

 ただ、配偶者となる予定の男性の経済的不安自体は、必ずしも結婚否定の理由にはならない。高度成長期をすぎた日本ではいまや、夫婦ともに生計を担う発想が増えており、専業主婦ならぬ専業主夫という生き方も選択肢となっている。

 男女共同参画が奨励される現代社会においては、妻が生計を支えても問題ないのであり、「私もバリバリ働いて、積極的に家計を担います」という姿勢を眞子さまご本人が明確に提示されれば、お相手が勉学中でも、現代の働く女性たちの共感を呼び、素直な祝福を喚起したかもしれない。