しかし、今回の場合、単に一時的に男性の経済力に不安があるのではなく、実家ぐるみで経済的トラブルを過去から抱えてきた疑惑があること、さらに、ご結婚の際に1億円以上という、一般市民にとってはかなり高額な降嫁金が税金から支払われるために、国民の視線が厳しくなっている。

 降嫁金のみならず、将来的にも妻の「実家=税金」で結婚生活が維持されるのではないか、それは税金の使途として妥当ではないという批判である。

 眞子さまとしては、なにも好んで皇室に生まれてきたわけではないのだから、一般市民と「平等」に「両性の合意」のみにもとづいて結婚したい、と思われているかもしれない。また、欧州の王室は日本の皇室よりはるかに自由であるという議論もままある。

 しかし、イギリス王室のように、先祖代々の財政基盤がある王室であれば、ご自由に結婚、離婚してくださいと国民が納得する余地があるものの、日本では、皇族に生まれた以上、税金が主として経費を支えることになるので、恋愛、結婚にも公共性が付随して、当事者が納得すればよいというわけにはいかなくなってくる。

 加えて、キリスト教国の王室であれば、神は人間とは別に存在するので、国民は王族に神のような品行方正さを過剰に期待することはない。

 ところが、戦前に「現人神」(あらひとがみ)であった日本の天皇は、戦後の「人間宣言」以降も、日本の「象徴」という形で模範的、理想的な人間性を提示することが暗に求められてきた。「普通の人間」としての立場を認められたはずが、「象徴」にふさわしい理想的人物像を提示することが期待されてきたのである。

 これを、「国民側の勝手な期待」であり、自分たちは人間なのだから、好きにさせてもらうわ、とする考えもありえるのだが、上記のように、財政基盤が税金にあるため、それにみあう社会的責務を果たしていない人間に税金を投入する意義はない。
礼拝に出席するため英サンドリンガムの教会に到着したエリザベス女王=2017年1月
礼拝に出席するため英サンドリンガムの教会に到着したエリザベス女王=2017年1月
 極端にいえば、信頼にたる人間性であることを示し、皇族、または皇族と親戚となるにふさわしい裏づけを提示してもらわないと、もはや、皇室を廃止してもいいのではという意見さえ、ネット上には散見する。

 人間の女性として恋愛結婚の自由を求める眞子さま本人には、あるいは理不尽と思われてしまうかもしれない。だが、税金で支えてきた皇族方の結婚相手に、それに足る社会的信頼や人格を求める国民感情に一理あるのは確かであり、もしどんな相手でも自分が選んだ相手と結婚したいと初志貫徹したいのであれば、一億円以上の降嫁金も辞退、まずは皇籍を離脱してから結婚するべきとの議論もある。