日本サッカーはこの二十数年で劇的に変化したとはいえ、その辺りのベーシックな構造は変わらない。そのため、興行としての日本代表はやはり大きな収益源であり、日本サッカーにとっては選手育成の頂点という競技以外の意味でも、そのマーケティングは大切な要素である。

 日本のサッカー界は「丸の内御三家」がつくってきたとも言われる。つまり、かつての社会人サッカーの強豪、古河電工・三菱重工・日立製作所の3社ОBが日本サッカーの保守本流であり、このメンバーが現在に至るまでサッカー界を支えている、別の言い方をすれば「牛耳っている」のである。別表の通り、2002年に日本サッカー協会会長に就任した川淵三郎氏(早稲田大卒、古河電工出身)以降、さらにこの傾向は顕著になっている。
 決して恵まれていたとはいえない、日本サッカーの歴史の中で、この体制下で「競技」と「興行」がバランスを取ってきた側面は否めない。まだ海外で活躍する日本人選手が珍しかった1990年代、選手の移籍に際し、スポンサーの後押しがあったというのはもはや周知の事実である。これが電通だったかどうかは分からないが、確かに広告代理店が主導した可能性は否定できない。

 とはいえ、既に野球をしのぐ勢いの競技人口を抱え、プロ野球に次ぐスポーツ興行団体となった日本サッカー協会に対して、スポンサーや代理店が、日本代表の選手選考まで口を出すようなことが実際にあるのだろうか。そこは「闇の中」ということになるのだが、よくよく考えてみると、広告代理店にとっても仮に日本代表があっさり負けてしまえば、そのビジネスは元も子もないはずである。にもかかわらず、代表監督人事にまで影響力を行使するというのは、いま一つ、現実味がないように思えるのだが、いかがであろうか。

 もちろん、ただの素人が主力選手のスポンサーであったりすれば、ビジネスの成果と日本代表の結果は必ずしもリンクしないだろう。仮にそうであれば、選手選考に介入するというのは有り得るかもしれない。だが、過度にスポンサーに配慮したり、いま流行りの「忖度(そんたく)」をするほど、日本サッカー協会が零落しているとも思えない。日本代表が勝つこと、それは関わるものすべての利害関係に直結しており、それに反する不合理な判断があるとは正直想像できない。

 「陰謀論」というのは、説明がつかない不合理な状況に対して、いともたやすく正解を導き出すところに、いわば醍醐味(だいごみ)がある。だが、現実というのは、いつももっと込み入っており、たやすく答えを導き出せるものではない。今回のハリル監督解任の一件も、W杯を控えたこの時期になっても、かつてのように盛り上がりが見えない現状にしびれを切らせたビジネスサイドの人間がいたかもしれない。それをハリル監督のせいにすることもあったのだろう。

 いずれにしても、広告代理店やスポンサーが選手選考に圧力をかけてきたり、監督人事にまで容喙(ようかい)してくることが本当だったにしろ、それを聞き入れるか、聞き入れないかの判断は日本サッカー協会にあるのである。一義的な責任はそちらにあることは言うまでもない。

 今回の監督人事について、もう少し多角的な視点で考えることもできる。日本サッカー協会の田嶋幸三会長は解任の判断について「さまざまな理由があった」としたが、特に明言したのは「選手からの信頼を失っていた」というチーム内の事情である。しかし、これは本当の理由だったのだろうか。

 田嶋会長が選手側の言い分を一方的に聞いて判断したとは考えにくい。とはいえ、この土壇場で「選手からの信用失墜」を理由を挙げるのは、いかがなものかと思う。