加えて、国際親善試合の成績が低空飛行を続けていた。そうした状況が相まって、トルシエ監督との契約満了が迫ってきた2000年4月下旬には、7人で構成される2002年強化推進本部内で、続投か否かの多数決が極秘裏に取られている。

 結果は4対3で更迭派が上回った。もっとも、最終的には会長の専権事項であり、一任された当時の岡野俊一郎会長(故人)が6月になって続投を支持した。

 U-20代表をワールドユース選手権(現FIFA・U-20ワールドカップ)で準優勝に導き、U-23代表も2000年のシドニー五輪出場を決めるなど、有望な若手選手を継続的に成長させてA代表に吸い上げている軌跡が高く評価された。

 トルシエ監督の続投決定後は、参議院議員としての政務が多忙になった釜本本部長に代わり、2002年強化推進本部の木之本興三副本部長(故人)が実施的なトップを担った。

 グッドパスチャー症候群という難病を患いながら、木之本副本部長は日韓共催大会の日本選手団団長を務め上げた。その過程で何度も口角泡を飛ばし合い、胸ぐらをつかみ上げたこともあるトルシエ監督との間に、対立を超えた奇妙な信頼関係が芽生えた、と後に語ってくれたことがある。

 お互いが本音をぶつけ合ったからこそ理解しあい、結果として一致団結した雰囲気が生まれ、日韓共催大会での快進撃が導かれた。しかし、メディアを含めた周囲にもひしひしと伝わってきた熱量や緊張感が、ハリルホジッチ監督と技術委員会との間からは感じられなかった。

日本サッカー協会の木之本興三強化推進副本部長<br>=2001年4月(大宮正敏撮影)
日本サッカー協会の木之本興三強化推進副本部長
=2001年4月(大宮正敏撮影)
 もちろん、状況を好転させるための努力は積み重ねられてきたはずだ。それでも力が及ばなかったのは、田嶋会長の会見から数時間後にJFAを通して発表された新監督、西野氏のコメントの一部が如実に物語っている。

 「本来であれば代表監督をサポートしていくポジションであり、このような状況になったことについて、技術委員長として責任を感じています」

 もっとも、就任当初のハリルホジッチ監督は、技術委員会と良好な関係を築いていた。当時はハリルホジッチ監督の招聘に奔走した霜田正浩氏(現J2レノファ山口監督)が委員長を務め、指揮官の要請を受けて、2015年6月に幕を開けたワールドカップ・アジア2次予選ではベンチに入っている。

 代表監督を評価する技術委員長がコーチ的な立場も務める。それまでの代表チームでは見られなかった光景には、当然ながら違和感が唱えられた。それでも2人の信頼関係の厚さを物語るように、霜田氏は「隣に座っていようが、上から見ていようが評価はできます」と批判をかわしている。