状況が激変したのは2016年2月。JFAの第14代会長に就任した田嶋氏は、史上初の会長選挙を争った原博実専務理事を理事職に降格させる人事案を作った。霜田委員長とともにハリルホジッチ監督の招聘に動いた原専務理事は最終的にJFAを離れ、空席だったJリーグの副理事長に就いた。

 JFAの組織改革のメスは技術委員会にも入れられ、柏レイソル、ガンバ大阪、ヴィッセル神戸、名古屋グランパスの監督として、J1歴代最多となる通算270勝を上げている西野氏が委員長として新たに招聘された。

 ナショナルチームダイレクターの肩書こそついたものの、技術委員長から技術委員へ実質的に降格させられた霜田氏は、ワールドカップ・アジア最終予選が折り返した2016年11月をもって辞任している。西野氏の下に役職が重複する自分がいることで、技術委員会とハリルホジッチ監督がコミュニケーションを取りにくくなるのでは、と憂慮した末の決断だった。

 霜田氏の後任的な立場の人間は、技術委員会内に置かれないままハリルホジッチ監督の解任劇に至った。西野氏も代表チームのサポートだけでなく、育成日本復活が掲げられたアンダー世代の公式戦などに帯同する機会が増えていった。最大の理解者にして後ろ盾を失ったハリルホジッチ監督は、時間の経過とともにJFA内における孤立感を深めていったのだろう。

 オーストラリア代表に快勝し、6大会連続6度目のワールドカップ出場を決めた昨年8月31日のアジア最終予選第9節。埼玉スタジアムの記者会見室で行われた公式会見を、ハリルホジッチ監督はプライベートな問題を抱えているとして、辞意を匂わせながらわずか8分で切り上げる異例の行動に出た。一夜明けた9月1日に急遽開いた会見では続投を表明した上で、こんな言葉も残している。

 「ともに仕事をしている全員が、私のやり方に同意したわけではなかった」
ウクライナ戦を前に会見に臨む、日本のバヒド・ハリルホジッチ監督=2018年3月26日、ベルギー(撮影・中井誠)
ウクライナ戦を前に会見に臨む、日本のバヒド・ハリルホジッチ監督=2018年3月26日、ベルギー(撮影・中井誠)
 批判的なメディアだけでなく、JFAの技術委員会にも向けられた意趣返しだったと言っていい。トルシエ監督にも似た、エキセントリックで独善的な性格はさらにエスカレート。トルシエ監督を制御した木之本副本部長に通じる存在をも欠く状況で、代表選手たちとの距離も大きく乖離(かいり)してしまい、ついには解任という決断が下されるに至った。