しかし、今日に至る、長期にわたる裁判などの経過を踏まえれば、現段階で改めて有用な情報が得られる可能性は高くないように思われる。

 また死刑廃止論の観点から、今回の事件を「利用」する論調にも与すべきではない。制度としての死刑廃止の是非は、今回の死刑執行が伴うリスクとは切り離して、立法論的に検討すべきであろう。

 再審請求中の死刑囚の権利保護に関する国際法的な視点はひとまず措くとすれば、死刑廃止論を、現行法を前提に振りかざすことは立憲主義(死刑制度は判例上合憲とされている)や法治主義の重視とは相容れない。

 残る問題は麻原が心神喪失の状態にあるか否かである。これまで、拘置所における麻原の異常行動が報じられてきたが、それが詐病か否かについて判断する具体的で確かな情報を得る手段は、我々には存在しない。

 最終的には法務省の判断によることになるが、仮に麻原が心神喪失の状態にあるとされれば、刑事訴訟法上彼の死刑執行は停止される。13人という共犯死刑囚の多さも関わり、共犯者同時執行の「原則」をこの場合あてはめないとしても、麻原を除外して他の共犯者のみの死刑を執行することが、事件の性質上妥当なのか否かという判断の余地は残る。

 麻原が心神喪失状態にないとすれば、オウム死刑囚の死刑執行に対する法的障壁はないことになる。執行に伴って懸念される報復テロや教祖奪還の違法活動の可能性に対しては、警戒警備を厳にすることによって対応するより他ないであろう。
会見するオウム真理教の麻原彰晃教祖
会見するオウム真理教の麻原彰晃教祖
 ただ、後継団体などの信者による麻原らの死刑執行後の神格化については、それは人間の内心の自由に属する領域に関する事柄であり、神格化を他律的に防ぐ手段はそもそも存在しない。

 さらに言えば、麻原らの死刑が仮に今後も執行されず、後に彼が老衰や病気によって獄死したとしても、「殉教者」とされる可能性がゼロになるわけではない。我々の社会が自由な社会であるためには、神格化の可能性とそれに伴う社会的リスクを警戒しつつも許容するしかないのである。(敬称略)