武田邦彦(中部大学特任教授)

(『科学者が解く「老人」のウソ』「はじめに」より抜粋)

 今、人生100年時代と言われています。

 しかし、「高齢社会」「高齢者」「後期高齢者」「定年」「老後」という言葉が世の中には溢れています。

 かつて、あるテレビ番組では「定年後でも元気な人をどうするか?」などいうことが語られていました。

 どうも、「年を取ったら定年がくる」という先入観に縛られているように思います。

 日本国憲法には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と書かれています。憲法改正の議論が高まっていますが、法の下の平等については、日本だけではなく世界中で、異論がないところでしょう。

 差別は禁止されているのですから、たとえ年を取ってやや疲れ気味になっているとしても、それによって一律の定年を決めるというのはおかしいのではないでしょうか。これでは女性差別ならぬ「年齢差別」です。

 でも、このような「年齢差別」とも言える言葉が出てきたのも、人生100年時代というものを迎えて、初めての事態にどう対処すればいいのか、その概念がないからだと思います。つまり、人生100年時代の人生哲学がないのです。
2017年11月、政府の看板政策「人づくり革命」を議論する「人生100年時代構想会議」であいさつする安倍晋三首相(中央、斎藤良雄撮影)
2017年11月、政府の看板政策「人づくり革命」を議論する「人生100年時代構想会議」であいさつする安倍晋三首相(中央、斎藤良雄撮影)
 私は50歳以上の男性に「生きている意味はない」と言ってきました。

「あなたこそ、年齢差別をしているのでは?」

 こう疑問に思う人もいるでしょうが、私の真意は違います。50歳以上の男性は、「生物として生きている意味」がないということなのです。

 それはどういうことか。

 後に詳述しますが、女性で考えると、成長して結婚し、子供を産み、育てるというのはほぼ50歳までに終えます。

 男性も同じで、昔は若い人には兵役や徴兵というものがありました。年を取って、体力が落ちて、弱いものを守るために戦えなくなり、肉体労働もできなくなってくるのが50歳くらいだったのです。

 つまり、50歳で生物としての人間が終わると私は考えます。その後の人生は“別の理由”で生きる別の人生です。

 私たちは、人生は1度だけだと思っています。しかし、それは誤解で、実は、人生は2度あるのです。

 生まれてから50歳までの「第1の人生」と、50歳以降の「第2の人生」の2つの人生が1人の人間にはある。その境目が50歳なのです。

 私は科学者ですから、「50歳」という年齢に、なにか断層のようなものを感じます。たとえば、糸魚川と静岡の中央構造線(フォッサマグナ)のような断層を感じるくらい、50歳で人生が一区切りされているのがわかります。

 ここで強調しておきたいのは、平均寿命が50歳であっても、80歳でも、100歳でも、人生は50歳で大きく変わるということです。