大敵を前にしてわらにもすがりたい思いの彼らが、

「御大将には熱田の神、大蛇の神、雨ごいの神、水の神がついている、その証拠がこの大風雨だ!」

と信じ込んだとしても何の不思議もない。『甫庵信長記』には、信長自身も熱田社から神宝のふたつの聖石――風を呼ぶ石と水を呼ぶ石を借り出してきていたとある。これが本当ならオカルトグッズの好きな信長らしい話で、その効き目の大きさに彼も鳥肌を立てていたのではないだろうか。

 こうして神懸かりとなった織田軍は一丸となって今川軍に攻めかかっていき、信長は起死回生の勝利を得たのだ。桶狭間の長福寺には、この戦いで戦死した者の菩提(ぼだい)を弔う位牌(いはい)がある。それには、今川軍の死者2753人と記されている。

 この戦いの経緯と結果は、のちに信長と家臣団に重大な影響を及ぼすこととなった。討ち死にした敵の総大将・今川義元は、緒戦で織田方の先鋒(せんぽう)隊を殲滅(せんめつ)したときに「義元の矛先には、天魔鬼神もたまるべからず」と豪語したが、図らずも彼は自分を天魔鬼神=魔神になぞらえた信長に敗れてしまった。

 信長自身も、自分こそは蛇神と一体となり雨・水を自由にできる超越者、特別な存在――神であるという意識をこの時にハッキリと持ったことだろう。以降、信長はそれまで以上に大蛇・龍のパワーを意識してふるまうようになり、家臣たちは信長を神のようにあがめ始めたのだ。
長福寺
長福寺
 この時期から数年の後、信長と面会したイエズス会宣教師のフロイスは報告書で、織田家の家臣たちが主君・信長を極めて凶暴な獅子のように恐れ畏(かしこ)む様子を描写し、「(信長は)尊大にすべての偶像を見下げ」ていたと記しているが、それも道理。信長自身が自分を霊験あらたかな大蛇神・龍神と一体化した存在と信じているのだから、他の神仏に頭を下げる必要はないではないか。

 かつて信長に反抗した家臣たちも全員が神格化された信長にひれ伏し、織田家の人々は次の目標・美濃征服にベクトルを一致させたのだった。