グッドバイ、グッドラック

 西部先生が入水されたという多摩川河川敷を歩いた。正確なご遺体の発見場所は警察発表以上のものを知らないし、探るのも失礼だが、おそらくこの辺りであろう、という見当はついた。そこは東京の西の端、東横線多摩川駅近傍である。壮麗な丸子橋を渡河すると、そこにはすぐ川崎市中原区武蔵小杉の「近代的」タワーマンション群が、低層住宅を睥睨するように林立している。この景色を見ながら、西部先生は逝かれたのだ。

 多摩川から北へすぐ行った二子玉川の開発が飽和状態となったことから、マンションデベロッパーが「第二のニコタマ」を目指して武蔵小杉のイメージ向上に躍起となり、瀟洒なカフェやスイーツ店をこれでもかとアピールし、ここに住む人たちを「ムサコマダム」などといって称揚し、即席セレブ気分を味わいたいが為に、不当につり上げられたコンクリートの塊を三十年ローンで嬉々として購入していく。この街に西部邁の読者は何人くらいいたのだろうか。ちなみに庵野秀明の映画『シン・ゴジラ』で、この街はゴジラによって徹底的に破壊されている。

 西部先生の遺作となった『保守の遺言』(平凡社新書)には、明瞭に自裁の決意が述べられている。先生の中では全てが想定されていたことだったのだ。同書最期の言葉はご親族らに向けられた「グッドバイそしてグッドラックと言わせていただきたい」である。しかし、私のような暗愚な大衆に毛の生えたような程度の人間は、いったいどうしていったら良いのだろうか。

 常識を喪失したより醜悪なゴロツキとペテン師と商売屋ばかりが蔓延る界隈の中で、私はどう生きていったら良いのだろうか。無論私だけイノセンスを気取っているのではない。私だってゴロツキの一種である。

 しかしそれは、西部邁という存在が遠くにいる事を前提として、その辺境のさらに端っこで辛うじて成り立つ芸当にすぎない。多摩川を去って帰路、小一時間自問した。が、西部邁先生の代替者の名を、現在の保守界隈に見つけだすことはどうしても出来なかった。

 私には、感傷や衝撃よりも危機感の方が圧倒的に強い。

西部邁氏の生涯
1939年 北海道生まれ。
1958年 東京大学入学。同年12月に結成された共産主義者同盟(ブント)に参加。
1960年 六〇年安保闘争を指揮。安保後、運動から離れる。
1964年 東京大学経済学部卒業後、同大大学院進学(経済学研究科修士課程修了)。
1986年 東京大学教養学部教授に就任。
1988年 宗教学者・中沢新一氏を学部助教授に推薦するも、教授会で否決され、東大を去る。以降、保守論客として活躍。『朝まで生テレビ!』出演などで人気を得る。
1994年 言論誌『発言者』を刊行(『表現者』の前身)。
2003年 イラク戦争に際して、「大義なし」として米国、並びに同国に追従する日本を痛烈に批判。
2018年 逝去。享年78。

【著者プロフィール】ふるや・つねひら/1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。日本ペンクラブ正会員。主な著書に『左翼も右翼もウソばかり』『草食系のための対米自立論』。最新刊は『日本を蝕む「極論」の正体』。

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