この電通の過労自殺裁判に触れている慶應義塾大学文学部の北中淳子教授の「「意志的な死」と病理の狭間で」(2003)などの論文では、自殺を個人の意志によるものではなく、精神の病とみなす傾向が現れてきたことが指摘されています。それと同時に、それを法廷で認めさせた過労自殺裁判の目的が過重労働を課す会社・社会を問い正すことだったように、それが社会問題化のうねりとも関係していると書かれていました。

 そこで、現代の自殺を考えるには、個人の意志と精神の病と社会問題という3つの説明の拮抗関係を見る必要があると考え、過労自殺について調べることにしました。

――電通過労自殺裁判が転換点となった背景とは?

元森:そもそも長時間労働の末に自殺したとしても、労災認定が下りる見込みは非常に低かったんです。労災認定は業務を通じた健康上の損害を補償する制度です。そのため、業務起因性が明白な事故や怪我と違い、過労による死が業務上の損害とみなせるかが問題となってしまいます。

 ただ、労災認定については1960年代から、例えば過労により脳・心臓疾患を患うことは徐々に認められるようになりました。しかし、自殺では、最後に死を選んだのは本人の意志ではないかという問題が、ここに加わります。

 そこで、労災認定が望めない中、企業の責任を問うために提訴された電通裁判で、弁護団は、「過労で脳・心臓疾患を患う」のと同様に、過労で精神障害を患い自殺した(当人の意志ではない)という、当時としては大変インパクトのあるレトリックを採用し勝訴しました。

 背景には、自殺とうつ病などの精神疾患の関係についての研究が進んだことがあげられます。自殺者の大半がうつ病などの精神疾患に罹患しているという精神医学の知見があり、WHO(世界保健機関)の「自殺予防・医療者のための資料」では、先進国、途上国ともに、自殺者の80~100パーセントが精神障害だったとされています。
2006年5月、自殺対策基本法の制定を求め、JR新宿駅西口で署名運動をする人たち
2006年5月、自殺対策基本法の制定を求め、JR新宿駅西口で署名運動をする人たち
 こうしたエビデンスにより、自殺は精神病理として扱われ、自殺の「精神医療化」と説明したくなるほどになりました。つまり、自殺を図ったということは、精神障害に罹患していた可能性が高い、となったのです。ただ、では実際に精神医療化といえるほどの事態が進んだかというと、そうでもありません。

 この法理が定着し、労災認定制度にも反映された結果、労災認定や損害賠償請求裁判では、自殺した人が実際に精神障害に罹患していたかは、あまり問われなくなっています。代わりに、精神障害に罹患してもおかしくない労働状況だったかが問題となります。実務の場では、精神の病説と社会問題説がこう拮抗しているのです。