――次にもう1つの章である「いじめ自殺」の話題に移りたいと思います。いじめ自殺もよく耳にします。

元森:いじめ自殺で毎年多くの子どもを失っているというイメージを多くの人が抱いているかもしれませんが、実際には統計史上最多でも2013年の9件です。こうしたいじめ自殺がどうメディアで語られるかについては、教育社会学などの研究の蓄積があります。 

 子どもという存在が自殺をするというのは、世間一般的にも受け入れづらい出来事だと思います。そこで、子どもの死が社会でどのような決着をつけられているかを調べてみようと、いじめ自殺をめぐる裁判の論理に注目しました。

――よく話題になる論点として、生徒がいじめられている事実を学校は知っていたのか、そしてその責任はどこまで負うべきかというのがあります。判例を調べる限り、そのあたりはどうでしょうか?

元森:今回、調べた限り、電通裁判以来趨勢が変わった過労自殺とは異なり、いじめ自殺に対する学校の責任を認めた判例は非常に少ないことがわかりました。 

 裁判では、いじめの結果、心身の傷や自殺に対する学校の責任が認められるには、そのような結果を学校が予見できたはずだということが必要になります。そこで、いじめ自殺の裁判では、自殺という結果まで予見できたとみなせるかが、問題となってきました。

 最初期は、自殺は生徒の意志によるものであり、学校は自殺の意志までを予見して予防することはできなくても仕方がないと判断されました。

 しかしその後、東京都の中野富士見中学でのいじめ自殺事件の判例が、現在まで続くスタンダードとなっていきます。そのポイントは4点あります。1点目にいじめの事実認定、2点目に学校側の安全配慮義務違反の認定、3点目に損害賠償範囲の認定。ここで予見可能性が問われ、自殺までの責任を認めるかどうかが問われます。

 自殺までの責任が認められた場合は、4点目に過失相殺の認定に進みます。これらの4点について詳細な検討を行い、一つひとつ判断していく判例が定着しています。
(iStock)
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 その結果、いじめの事実が認定されなかったり、学校は義務を果たしていたとされたり、いじめを止められず生徒に心身の傷を負わせた責任は認めても、自殺までの責任はないとされたりすることが多く、いじめ自殺までの学校の責任は認められにくいのです。ただ、自殺の予見可能性を問うときに、当人の意志という観点で考えない判例も増えてくるなど、変化は見られます。

 なお、自殺までの学校の責任を認めた判例は少ないのですが、そこだけにとらわれるのではなく、自殺までの責任はないけれどいじめを止めることが出来なかった責任は認めるという判例にも注目する必要があると思いました。

 自殺までの責任を認めた判例は、すべて過失相殺に進んでいます。その結果、ひどいいじめを止められなかった責任のみを認定したケースと、自殺までの責任を認めたケースとで、認められた賠償額がほとんど変わらなかったり、ときには逆転していたりすることがあります。仮に金額を責任の重さとみなせば、いじめを止められなかった責任は十分痛烈に問われているとも言えます。