たとえ、ズバリ言われても、自分から認めない限りは、しょせん「噂話」にすぎない。記者を長く続けていれば、こんなことは日常茶飯事だ。それどころか、至る所に「落とし穴」まで仕掛けられている。だいたい、他社が耳打ちしてネタ元をつぶそうとするために動くからだ。それほど取材源を確保し、維持し続けることは難しく、厳しいのである。

 それを分かった上で、女性記者が告発した以上、たとえ「記者」を続けても、他の記者クラブに行けば「あれが次官を葬った女性記者だ」とライバル社が告げ口するだろう。遊軍記者になっても、今度は「テレ朝には、取材源を平気で売るような記者がいる」と悪意の干渉が行われる恐れがある。もちろん、女性記者にとっては、悩みに悩んだあげくの行動なのだが、他社はそうは言わない。ジャーナリズムというのは、綺麗事の世界ではないのである。

 次いで、テレ朝ではなく『週刊新潮』に持ち込んだことについての問題がある。意見の分かれるところだが、私は大いに結構だと思っている。実は、私もNHKで使ってもらえないネタは、『文藝春秋』に持ち込んで記事にしてもらったことが何度もある。

 もちろん、彼女同様、取材協力謝礼をもらったことはない。散々怪文書で「司馬遼太郎より文春から金をもらっている」と書かれたことがあるが、とんでもない話だ。さすがに辟易(へきえき)したけれど、考えは変わらなかった。

 では、なぜ他に持ち込むかといえば、自分が獲ってきたネタを大事にしないと、ネタ元から「小俣にせっかく教えてやっても意味がない」と思われるからである。また、とにかく世の中に明らかにしなくては「事実が埋もれてしまう」という思いも強かったからだ。特に、女性記者とはその点で合致していると思う。

 それにNHKの場合、政治家絡みの事件では、ネタがなかなか日の目を見ることが少ない。中にはとんでもないデスクがいて、「ネタ元を明らかにしろ。その人が信頼できるかどうかで出す出さないを判断するから」と、ロクな取材もしてこなかったような先輩に問いただされたものだ。そういう場合の発信場所を文藝春秋に求めていたのである。その時の「相方」は、いまや社長や常務になったが、この2人の編集者なら絶対の信頼が置けたからだ。だから、私は2人と当時の編集長以外、文藝春秋の編集者をほとんど知らない。

 おそらく、女性記者も同じ気持ちだったのだろう。会社の上司にセクハラを報告しても相手にしてくれないのなら、他の媒体に持ち込む方法しかないと思うのは自明の理である。むしろ、彼女をここまで追い詰めたテレ朝の上司や幹部は、反省や遺憾の意を表すどころではなく、厳しく処分されるべきである。「お前ら涼しい顔して逃げるんじゃねぇ」と私が怒鳴りつけたい気分だ。
2018年4月、福田財務次官のセクハラ問題について会見に臨むテレビ朝日の篠塚浩報道局長(右)と長田明広報局長(佐藤徳昭撮影)
2018年4月、福田財務次官のセクハラ問題について会見に臨むテレビ朝日の篠塚浩報道局長(右)と長田明広報局長(佐藤徳昭撮影)
 最後は女性記者に対する今後の処遇の問題である。一つ目でも触れたように、彼女が望もうが、記者としては残念だが活動しづらいと思う。綺麗事で言えば「正義のセ」なのだから、何ら臆(おく)することはないのだろう。しかし、現実に戻れば、そう簡単にはいくまい。

 だからこそ、社を挙げて彼女を守ることが重要なのである。年齢を問わず、こうした過酷な事態の渦中にあって、精神的にボロボロになっているはずだ。彼女が「よくやった」ことは動かぬ事実であり、称賛すべきことだと思う。それだけに、代償が大きすぎてはいけない。

 余計なお世話だが、彼女には、ぜひ人権や弱き側の心をくみ取ったドキュメンタリーを作れるようなディレクターに新天地を見つけてほしい。こういう発想が、まだまだ私に「明治の尻尾」が残っているからかもしれない。むしろ、今の人なら、平然とそのまま取材記者を続けるのかもしれない。それができるメディアの世界であってほしいが…。