藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士)

 クルマを運転する際の犯罪(道路交通法違反)は、ある意味で特殊である。その理由の一つは「一部の物損事故、人身事故を除く多くの違反が、重大な被害に結びつかない確率が高い」という点である。

 同じ犯罪でも殺人や放火、窃盗、詐欺などは、そこには明確な被害者の存在がある。しかし、スピード違反や一時停止違反、シートベルト装着義務違反、駐停車違反、追い越し・転回・後退禁止違反…これらは事故にならない限り、どれも直接的な被害者は存在しないことがほとんどである。

 そのため、仮に取り締まりに遭遇しても、「罪を犯した」という意識が他の犯罪に比べて相対的に低くなりやすい。だから、反省したり自分を責めたりするどころか、「まさか見つかるとは思っていなかった」「運が悪かった」「なんで捕まえるんだ」「これぐらいならいいじゃないか」「誰も困らないじゃないか」などと警察官を恨めしく思ってしまうことも多いだろう。

 また、検挙される・されないに関わらず、厳密に言えば日常的に罪を犯している人が他の犯罪カテゴリーに比べて多いという点もある。例えば、見通しの良い幹線道路や高速道路で、制限速度をオーバーしたスピードでクルマの流れができていることは決して珍しいことではない。同じく取り締まりにあったときに、「みんなやっているじゃないか! なんで自分だけが罰を受けるんだ」と怒りをあらわにする人は決して少なくないだろう。

 さらには、それが違反だったということが、免許所持者の間で完全に知られているとは言い難い違反もある。「高速道路で追い抜き車線を走行し続ける」「運転席・助手席のヘッドレストを取った状態で走る」「ライトを常にハイビームにしておく」「クラクションの乱用」…。実はわが国では、これらが全て道路交通法違反であることが明示されている。

2017年5月、ゴールデンウイークの
Uターンラッシュで渋滞する東名高速道路の
上り海老名サービスエリア付近(菊本和人撮影)
 このように、(1)直接的な被害者がいないことも多い(2)日常的に多数の検挙されない違反者がいる(3)違反と認識されていない行為もある、という特徴を持つ交通違反は、心理学的には「価値基準の混濁」が起こりやすい。

 「価値基準の混濁」とは、何がやってもよいことで、何がやってはいけないことかが明確に認識されづらく、その場の状況や判断、文脈によって、基準がコロコロ変わり一定しないことを指す。例えば、同じ人間であっても、仕事で急いでいるときは、制限速度を上回るスピードを出していても罪の意識は薄い。一方で、休みの日で急いでいないときなどは、一時停止や歩行者の存在、スピードメーターにも相対的に強く意識が働いており、順法精神が普段より保たれている場合もあるだろう。