著者 江﨑雅博(鹿児島県)

 憲法9条改正の機運が高まる中、筆者は、今は「9条の解釈」について議論する時期ではないとの思いが強くなった。そして、以下に述べる内容は、高名な保守派の学者が何と言おうとも翻(ひるがえ)すつもりはないことを断ったうえで論じていきたい。

 時の経過による状況推移に伴い、法律解釈も変遷することは当然であり、為政者もしくは一定の思想を主張する者による法解釈は合目的的になされることが常であり、そこに彼らの恣意が介在することは自明の理である。

 これを批判するつもりは毛頭なく、むしろ妥当な結論が得られるのであればそれに越したことはない。しかし、そこには自ずと限界があると考える。端的に言えば、当該条文からあまりにも文理的に遊離した解釈は、解釈論を装った法律思想ではあっても、当該法律の解釈ではないからだ。

 9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言が、「国権の発動たる戦争」にもかかるとすれば、自衛戦争に限ってこれをなし得る、と解釈することも可能だ。しかし、2項の規定によってたちどころに反古(ほご)にされるのである。2項の規定は、好むと好まざるとにかかわらず、決定的、いや、絶対的である。

 文民条項を加えた芦田修正に基づく9条解釈はもちろん政府見解にしても、当該条項で明確な戦力不保持の規定があるにもかかわらず、軍もしくは自衛隊の存在を合憲とする。

 これらは憲法解釈の限界を越えた屁理屈(へりくつ)と言わなければならない。この辺りが保守派において、「軍相当組織合憲説」の基礎となっている。しかし、無理筋な理屈を弄(ろう)して解釈論で自衛権を導き出すことは、アンチ護憲派の強弁と評さざるを得ない。
イラクに派遣された陸上自衛隊の隊員たち=2004年2月、サマワ市郊外
イラクに派遣された陸上自衛隊の隊員たち=2004年2月、サマワ市郊外
 自称保守の人々は進んで支持するのだろうが、筆者は肯(がえ)んじない。かつて筆者は、芦田修正による9条解釈論を支持した時期があった。保守思想に傾倒する余り、盲目になっていた己の不明を恥じている。

 この解釈の根底には国際通念上、自衛権保持は不文の法理、とする大前提がある。自然権的立場に立てば、国家緊急権については現行憲法下でも発動可能とみることができるだろう。しかし、明瞭な戦力不保持の明文規定を持っている我が国の憲法9条解釈に援用すべきではないと考える。

 そもそも我が国の憲法は異常である。しかし、だからといって当該条文を軽んじ、国際通念上普遍的とされる法理をもって金科玉条(きんかぎょくじょう)の根拠とする解釈は、もはや法律解釈の名を騙(かた)った個人的憲法思想のゴリ押しであり、邪道というべきである。