「攻撃手がかり仮説」では、欲求不満だけでなく他者からの攻撃や過去の攻撃習慣によって攻撃へのレディネス(準備状態)が高まり、攻撃を連想する手がかりが目に入ることによって攻撃行動が起きるとされる。

 他車のせいでハンドル操作やペダル操作をしなければならないことや、自分の思うような運転ができない状況は、不本意ながら対応せざるを得ないという点では攻撃を受けたのと同じであり、そういう状況をもたらした他車に対して報復や制裁をという思いが生じる。

 一方で、あおり運転をやっても警察に捕まったり誰かから咎(とが)められたりすることはほとんどないため、あおることは習慣化しやすい。仮説に従うと、悪いことに回数を重ねれば重ねるほど簡単にレディネスが高まるようになるとされる。

 車は人を殺傷することができる武器であり、ハンドルを握っていることは銃を手にしていることと同じだ。運転をする行為そのものが攻撃行動を誘発する格好の手がかりであることは言うまでもない。標的となるのは、すぐ目の前を走っている車である。

 もちろん、欲求不満が高まり興奮したからと言っても、すべてのドライバーがあおり運転をするわけではない。人の性格や生育環境はさまざまであり、欲求不満になると他の人よりも怒りが生じやすく、他人に対して攻撃的になりやすいタイプの人たちがいる。こういった人たちは、他人からの敵意を過度に感じやすいとも言われている。

 意図的ではない偶然の出来事であっても、自分に向けられた悪意と思い込む「敵意帰属バイアス」がかかってしまう。そして、報復として相手を攻撃してしまうのである。怒りを鎮める方法としては相手に怒鳴ることもできるが、残念ながら車の中では怒鳴っても相手には聞こえない。運転時に手軽に行うことができる攻撃手段は相手をあおることである。

 また、攻撃的な運転をする人たちは普段の生活においても他人に攻撃的である可能性が高い。運転とライフスタイルが関連していることは多くの研究で指摘されており、交通違反が多い人は交通事故も多く、そういう人たちは運転以外の社会生活においても規則を守らなかったり他人とトラブルを起こしがちであったりすることが明らかにされている。
2017年10月、移送される石橋和歩被告=福岡空港署
2017年10月、移送される石橋和歩被告=福岡空港署
 その一方で、ハンドルを握ると豹変する人たちがいる。生まれ持った気質としては攻撃的であったり、刺激を求める欲求が強かったりするのに、普段は大人しく振る舞っている人たちであろう。現代社会では粗暴な仕草や言動は嫌われるため、われわれは小さい頃から礼儀を失しないように振る舞う教育を受けてそれが習性となっている。

 自分の家の中や車の中などプライベートな空間は周囲の目を気にする必要がないため、本来の自分が出やすくなる。特に、車の場合はスピードが興奮をもたらすため、その興奮が呼び水となって、攻撃的で刺激を求める本来の自分が呼び起こされやすくなるのではないだろうか。

 また、服装によって自分の気持ちや振る舞いが変わるように、運転する車によってドライバーの気持ちや運転が変わる。大きな車、スピードの出る車、高級車に乗っているような場合は、自然と車のサイズ、パワー、価格などが周囲のドライバーに対する優越感をもたらしてくれる。

 運転が楽しめ、満足感が得られること自体は悪いことではなく、そういった車を所有し、運転することで生活の質が向上するのであれば歓迎すべきことだ。しかし、中にはそういった優越感から他人を下に見て自己中心的な運転を行ってしまう人たちもいる。