もちろん確認できたのは、国会でそれを問題視する野党議員がいた、というところまでで、それ以上の事実確認はできていません。私は個人的に聞き及んで確信していますが、このような話をウワサ話という形であれ、記事にできるのはネットの特長でもあります。放送であれば、直接事実確認はしたのか、政治的に中立か、と厳しく追及されて表現できなかったでしょう。
 
 ネットにはネットの特長があり、テレビにはテレビの特長があります。それはネットが通信という一対一の概念であり、通信の秘密を原則とするのに対して、テレビは放送という「一対多」の概念であり、広くあまねく公開を原則とするというところからきている決定的な違いです。それは見た目でごまかされてはいけません。

 今ではパソコンのモニター上にはあたかもテレビ放送のようなネット動画配信があり、テレビの画面にもネットの映像を映し出すことができます。モニター画面という物理的な装置を見ている限り、あたかも放送と通信が融合したかのような錯覚に陥りますが、そもそもの概念として放送と通信が融合することは起こり得ません。混在しているだけです。
 
 それは放送が物理的に限られた電波という公共資源を使い、独占的かつ一方的に、あるいは強制的に情報を流布するツールであるのに対して、通信は無限に容量と回線数を増やすことができ、非独占的かつ双方向的に、あるいは非強制的に情報を伝えるツールである、という根本的な違いがあるからです。

 ネットから得られる情報については、私は一つの意見としては尊重しますが、その信憑性(しんぴょうせい)については、かなり疑問視しています。

 一方、テレビや大手新聞については、よほどのことがない限り誤報はないだろう、多少の政治的傾向は異なるかも知れないが、ウソは言っていないだろうと信用しています。地震で大きくぐらりと揺れたら、私はまずパソコンではなくテレビをつけるでしょう。そして地震速報をまず見るでしょう。大したことがなければ、ツイッターで被害の状況を伝えるツイートを眺めますが、まず頼るのはテレビです。

ネットフリックスのポータル画面=2015年9月(荻窪佳撮影)
 放送にはこのような災害報道や、高齢者や障害者に向けた放送、政見放送など公共の福祉に寄与する義務があります。そういった公共の福祉の一環として、政治的な公正中立を定めた、放送法が機能しているわけです。通信にはそのような義務はなく、私はこう考える、といった個人的な意見を表現できる自由があります。どんなに思想信条が偏っていても、情報の送り手と受け手が同意していれば、なんら問題がないのがネットの特長だとも言えるでしょう。

 今回の安倍首相の放送法第4条を撤廃するという提案は、まったくこの放送と通信の違いを無視した、とんでもない提案だと言わざるを得ません。あるいは民間放送のニュースを自分の宣伝機関にしてしまおうという、独裁者としての魂胆があるのではないかと、疑われても仕方がない話だと思います。この放送法の改正案には慎重な、野田聖子総務相の意見が、まっとうな見解ではないでしょうか。