ペマ・ギャルポ(拓殖大客員教授)

(ハート出版『チベット人が語る 侵略に気づいていない日本人』より)

 中国のチベット侵略は、1949年10月、中華人民共和国成立後すぐに計画され、1950年1月には「人民解放軍の基本的課題は、本年中にチベットを帝国主義者の手から“解放”することである」と宣言することで、明確にその意志を示している。

 「帝国主義者」どころか、当時チベットには外国人はほとんどいなかった。チベット政府はこの宣言に抗議し、国境の防備を固めようとしたが、時すでに遅く、この年の10月には中国の人民解放軍が、侵略軍として東チベット(アムド、カム地方)に押し寄せてきた。その数は数万人、僅か数千の、しかも武器も乏しかったチベット軍は彼らを防ぐことはできなかった。

 当時は朝鮮戦争開戦の年でもあり、世界の目はそちらに集中していて、この侵略は世界の注目を集めず、国際的な支援もなかった。これは、中国が常に行うある種、火事場泥棒的な侵略であって、今現在(2017年秋)でも、中国は北朝鮮危機のさなか、インドとの国境線上で圧力をかけている。

 チベット側も何とか事態を解決しようと北京に代表団を派遣するが、1951年5月、中国はあらかじめ用意していた「17カ条協定」をチベット側に突きつけ、拒否すればラサまで進軍を続けると脅迫しつつ、しかも派遣団の本国政府との連絡・相談も許さない状態で、偽の国璽まで持ち出して無理やりに調印させた。

 このとき、チベット側の代表団団長だったアボ・アワン・ジグメは、この後、徹底的に中国側に立つ行動を取るようになる。同じ民族の中に、中国に内通する人間を作り出していくのも、中国の得意なパターンである。
ラプラン寺へ向かう道路沿いに掲げられた中国国旗=2018年2月、中国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(共同)
ラプラン寺へ向かう道路沿いに掲げられた中国国旗=2018年2月、中国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(共同)
 しかし、この経過が、17カ条協定の前文では、次のように、全く中国側に都合の良いように変えられてしまっている。

「1949年、中国人民解放戦争は全国的範囲で基本的勝利を勝ちとり、各民族共同の内部の敵、国民党反動政府を打倒し、各民族共同の外部の敵──帝国主義侵略勢力を駆逐した」
「この基礎の上に、中華人民共和国と中央人民政府が成立を宣言した」
「(人民政府は)中華人民共和国領土内の各民族が一律に平等であり、団結して相互援助を行い、帝国主義と各民族内部の人民の共同の敵に反対し、中華人民共和国を各民族が友愛によって合作する大家庭とすることを宣言した」
「これ以後、国内各民族は、チベット及び台湾区域をのぞいていずれもすでに解放を勝ちとった。中央人民政府の統一的指導のもと、各少数民族はいずれもすでに民族平等の権利を充分に享受し、かつすでに民族の地方的自治を実行し、あるいはまさに実行しつつある」
「帝国主義侵略勢力のチベットにおける影響を順調に一掃して、中華人民共和国の領土と主権の統一を完成し、国防を維持し、チベット民族とチベット人民に解放を勝ちとらせ、中華人民共和国の大家庭に戻らせて、国内のその他の各民族と同じく、民族平等の権利を享受させ、その政治・経済・文化教育の事業を発展させるため、中央人民政府は人民解放軍にチベット進軍を命令した際、チベット地方政府に、代表を中央に派遣して交渉を行い、チベット平和解放の方法に関する協約の締結を便利ならしめるようにと通知した」

 これこそが歴史の偽造に他ならないのだが、中国はチベット側にこれほどの嘘を押し付け、侵略を解放とし、これまでの独立国チベットを「中華人民共和国の大家庭」に編入した。代表団は本来チベットの立場を交渉するためにチベット政府から派遣されたのに、「平和解放」を承認し条約を締結するためにやってきたものであると規定され、すでに用意していた17カ条協定に調印させられたのである。