あの会見で筆者が何より感動したのは、どれだけ彼らが厳しい意見を言っても、彼らが「山口を見捨てない、何ならアルコール依存症が治るまで責任を持って面倒をみる」と言っているかのよう感じたからだ。

 山口が事務所を退所した今となっては、過大評価だったのかもしれないが、いくら厳しいことを言っていても、山口に対しては「俺はお前を見捨てない。だからまずは治療に専念しろ」と言っていたのなら、山口が復帰するかどうかは別にして、チームとしてのTOKIOは完璧だと思う。

 だが、あれだけ見事な会見ができたなら、なぜ、山口の問題を事前に察知して「お前、しっかりしろよ」と言えなかったのか。同時に山口もなぜ、他のメンバーに自分の悩みを相談できなかったのか。退院後に山口が本来連絡すべき相手は、未成年の女子高生ではなく、TOKIOのメンバーであるべきだったはずである。

 もちろん46歳の大人なんだから、余計なことは言えないという付き合いもあるだろう。だが、そこで踏み越えて思ったことを言い合える関係が山口達也と他のメンバーの間に出来上がっていたら、事件の顛末は違ったものになっていたのではないだろうか。

 ここに筆者は40代以上の日本の中年男性の抱える哀しみをみてしまう。彼らには自分の弱い心を吐き出せる相手がいないのだ。

 それにしても、これだけたくさんの報道が出ているのに、いまいち像を結ばないのが、山口達也の内面である。結局彼がどういう理由で未成年の女性を呼び出したのか。こうなるまでに彼がどういった心境で生きてきたのか。もっとたくさんの論点があるはずなのに、どれだけ情報が出ても、山口達也という一人の人間のパーソナリティーが浮かび上がってこないまま、周辺の情報だけがどんどん肥大している。そもそも事件を語る多くの人が山口個人について全く関心を持っていないようにみえる。
(画像:istock)
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 山口を「悲劇の主人公」として語ってしまうことで、中年男性が仕事上の立場を利用して未成年の女性に対して行った性的暴力を免罪するようなことがあってはならないという気持ちが、彼の内面に踏み込むことを躊躇(ちゅうちょ)させているのだろう。TOKIOの今後を心配する声と、被害者女性を心配する声の間で、山口達也本人の問題を語る言葉が、どんどんかき消されていっているように感じる。

 今、山口の内面にフォーカスを当てるのは時期尚早なのかもしれない。しかし、アイドルとして働く46歳の中年男性が抱えていた不安や恐怖、あるいは孤独の根幹を理解することができなければ、この問題の本質にはたどり着けないのではないか。しかし、世の中で一番どうでもいいものとして扱われているのがおっさんの内面だから、そこが語られることは今後ないのかもしれない。何より不幸なのは、おっさんの不安や孤独を言語化することを一番阻害して、無自覚に封じ込めているのが、当事者であるおっさんたちなのだ。

 だから、山口にはいつか自身が抱えていた不安や孤独を自分自身の言葉で語ってほしいと切に思う。