橋場日月(歴史研究家、歴史作家)

 織田信長が日銀総裁になったら、というお題を頂戴した。「歴史にifは禁物」というが、魅力的な仮定でもある。さまざまな経済政策を実行した信長だけに、彼が現代日本の貨幣流通・金融管理の元締めをどうリードするのか、考えてみるのも面白いだろう。

 史実の信長と経済との関わりでまず挙げられるのは「楽市楽座」だ。「楽」は自由、フリーという意味で、誰でも自由に商売ができ、免税され、領主の権力も介入しないという政策だ。信長はこれを美濃征服の翌永禄11(1568)年9月に、岐阜城下の加納(現在の岐阜県岐阜市加納)で実施した。

 合戦で荒れた町を復興させるために手っ取り早く商人を集める手段だったのだが、この政策自体は南近江の六角氏による石寺新市(現在の滋賀県近江八幡市安土町石寺)や、駿河の今川氏による富士大宮(現在の静岡県富士宮市大宮町)の楽市指定など、先例がある。

 それにこれはどちらかといえば経産省のテリトリーだろう。問題なのは、信長が加納市に宣言した「楽市」が、「借銭・借米・さかり銭」も免除した点だ。これは「楽市」に「徳政」を組み合わせたものといえる。借銭・借米はそのまま借金を指す。さかり銭は「下がり銭」、下がるは「後になる・後にする」という意味があるから、これは後払い=掛け売りに伴う手数料を指すらしい。

 ということは、日銀の業務に例えれば、彼は割り引いた手形をそのまま発行元に返し、割引の手数料や利息分もタダにしたという形になるのではないか。あくまで特例的措置とはいえ、劇薬と言ってもいい金融政策だ。「何がなんでも町を立て直す」。信長の決意の固さが、ここに表れている(彼の懐は痛まず貸主が損をするだけの話だが)。
「木造織田信長坐像」=大徳寺総見院所蔵(中田真弥撮影)
「木造織田信長坐像」=大徳寺総見院所蔵(中田真弥撮影)
 「現代の徳政」といわれる日本航空やりそな銀行などに対する公的資金注入にも似ているが、これは金融庁マターだから、日銀の関わりはとりあえず国庫金を払い出す業務のみだろう。

 税を免除し、借金を棒引きにすれば、当然ながら短期的に市場の貨幣は増える。その分物価は上昇し、経済活動は活発化するだろう。大幅な金融緩和でデフレ脱却を目指す現在の日銀総裁と、ある意味共通した思想かもしれない。

 ただ注意しておきたいのは、日銀総裁と違って信長は経済政策のすべてを総覧する立場だったことだ。彼は流通ルートの開発に励んだし、道路や橋の整備をおこない、舟運の保護にも熱心だった。市場は取引される商品がなければ成り立たないわけだが、その商品の生産についても、地元特産の瀬戸物を保護奨励し、後に志野焼や織部焼が生まれる基礎を作るなど、差別化や増産に努めたことを忘れてはいけない。