なぜ公営放送は税金によって
維持運営されるのが妥当であるか


 誰でも想像できる通り、今日の技術進歩は、こうした英国流「テレビ・ライセンシング」制度をめぐる環境を、いちじるしく複雑化させてしまった。

 たとえば、テレビ受像機をデジタル・ラジオとして使おうと思ったなら、超短波や極超短波を受信できるアンテナにつながぬわけにはいかない。コンファームの審査はすこぶる厄介になろう。

 英国「文化・メディア・スポーツ省」の見解では、テレビというものを設置していない世帯でも、スマートフォンやパソコンなど、テレビ放送のリアルタイム受信(またはリアルタイム録画)ができる機器があるならば、その世帯は、テレビ受信ライセンシングを求められる。内臓電池で動作し、過搬式のもの(携帯電話内臓テレビなど)は、自宅外に持ち出していても、主住宅のライセンスでカバーされる。

 しかし「文化・メディア・スポーツ省」はすでに2005年には、インターネットとモバイル機器の普及は、在来式のテレビ受像機だけがBBC視聴手段ではない時代をもたらしているので、いまのライセンシング制度は持続不能だ――と認識していた。

 英国の「アダム・スミス協会」というところも、BBCに対して、ライセンス料制度というものはもうあきらめろ、と勧告しているそうである。

 受信料契約強制(TVライセンシング制度)は、EU憲章に定めた「表現の自由」の侵害になるのだ――という見解に立つ英国人もいるそうだ。

 それで、英国議会下院も、BBC運営のあり方について、現行方式とはまったく異なった将来のオプションを提示している。そのひとつが、ライセンシング制度を廃し、歳入の基礎を「税金」に依らせることである。

 兵頭は、わがNHKの歳入も全面的に「税金」にし、「受信料」などは廃止することが、日本の安全上、いちばん合理的なオプションだと信ずる(他の有力オプションには「スクランブル化」等があるが、略す)。もちろんその場合、NHKが制作してもよい番組コンテンツは、「放送基本法」の精神を反映して、必要な最小限にまで粛減されるであろう。

 大正時代より以前、ラジオやテレビなどの電波放送受信機は、日本の住民や社会には、特になくてもさしつかえのない贅沢商品であった。しかし大正時代以後、電波放送は、日本国の一体維持、安全、住民の福祉のためにも、なくてはならぬサービスとなっている。その最低限の受信手段の保有を、贅沢だとか特権だとか特別な受益だとみなすことは、今日もはや、妥当ではない。NHK経営陣もいまさら「ラジオの保有者から受信料を取るべきだ」とは思っていないはずだ。テレビももう、とっくにその段階に入っているのである。

 公共放送サービスの受益者も、テレビ保有者だけには限っていない。公共放送によって安全化した日本社会、公共放送によって高度化した日本文化の恩恵は、受信機を保有しているといないとにかかわらず、日本の全社会成員が、あまねく蒙るものである。したがって、そのコストの負担を、日本の全住民が等しく「税金」によって分担するのは合理的だ。同時に、それと表裏の原理として、公共放送が、近代憲法精神をねじまげ、日本国を危険におとしいれる番組や、日本社会を毀損破壊するコンテンツを垂れ流し、あるいはムダ金を使って身内の私腹を肥やすことがないよう、全納税者が監視できる仕組みも必要である。