茂木健一郎(脳科学者)

 西城秀樹さんが亡くなったというニュースを聞いたときは本当に驚いた。63歳。あまりにも早すぎる。西城秀樹さんは、本当のスターだった。まだまだ、そのご活躍を楽しみにしていたファンの方々は多いだろう。西城秀樹さん、どうぞ安らかにおやすみください。心からご冥福をお祈りいたします。偉大なるスターの死の報に接して、西城秀樹さんが輝いていた、あの時代のことを振り返りたいと思う。

 私が子どもの頃は、日本のテレビは黄金期だった。ある日、その「真ん中」に西城秀樹さんが現れた。見ている側から見れば本当に突然、西城秀樹という光を放った存在が「降臨」したのである。

 鮮明に覚えているのは、5枚目のシングル『情熱の嵐』だ。まず、つかみから圧倒された。ステージ上で歌って踊る西城秀樹さん。客席から「ヒデキ!」の声が飛ぶ。なんだか、それまで見たことがない光景が地上に現れたような気がした。

 西城秀樹さんは、登場したその時から、すでに「完成」された姿を持っていた。情熱をそのまま形にしたような、その外見。力強く、時にハスキーなその声。

 「西城秀樹」という名前も素敵だった。踊りやしぐさも華麗だった。「ヒデキ!」というファンの掛け声も含めて、すべてが完成されていた。まるで、「イデア」の世界から人間界に降臨した「アイドル」の一つの「原型」であるようにさえ思われた。

 夏目漱石は、『夢十夜』の中で、運慶のような名人が仏像を彫るのは、木の中に埋まっている形をそのまま掘り出すのだ、というようなことを書いている。当時、小学校高学年だった私の前に突然降臨した西城秀樹さんは、まるで世界のどこかに埋もれていた「アイドル」がそのまま出現したかのように見えた。それくらい「完璧」だった。

 アイドルという存在は、実は「革新性」の塊(かたまり)である。今流行の言葉に置き換えれば「イノベーション」だ。西城秀樹さんは、それまでに見たことがないアイドルのイノベーションを起こしたからこそ、当時の私たちはテレビ画面にくぎ付けになって、目が離せなくなってしまった。
豪雨の中、コンサートで熱唱する西城秀樹=1979年8月24日、 後楽園球場
豪雨の中、コンサートで熱唱する西城秀樹=1979年8月24日、 後楽園球場 
 人間の脳は正直で、見たことがないものにワクワクする。理屈で「これは大切だから」とか、「価値があるから」と言い聞かせても、なかなか集中力は続かない。例えば、アポロ11号で人類が月に到達した時の熱狂がすごかったことは、子供心に鮮明に覚えている。月面着陸がそれまで見たことがないほどの「イノベーション」だったから、あの熱狂が巻き起こったのである。

 その後、月面着陸さえ日常の見慣れた光景になってしまい、人々の関心は急速に冷めていった。宇宙への関心が再び盛り上がるには、近年のイーロン・マスク氏が率いるスペースX社の、火星旅行を含む大胆な計画の出現などのイノベーションが必要だろう。

 西城秀樹さんがアイドルの世界でやったことは、画期的に新しいことだった。『ちぎれた愛』『愛の十字架』など、新しい楽曲を発表するたびに、情熱と絶叫の西城秀樹さんの「アイドル道」が深まっていった。

 世間は「新御三家」などと据わりの良い言葉で西城秀樹という現象を整理しようとしていたが、そこにあったのは今まで見たことがない明るい「大彗星(すいせい)」の登場だったのである。

 そして、西城秀樹さんの姿にファンが見ていたのは「愛」だったのだと思う。西城さんから放たれていたのは、まさに愛の輝きだった。