とてもスポーツマンである監督やコーチの記者会見とは思えず、政治家や官僚の言い訳だらけの答弁のように私には見えました。責任者が責任を取ろうとしない。部下や現場に責任を押しつけて、自分は「直接指示した覚えはない」と主張する。この卑劣な手口は国会での答弁で見慣れている気がします。あるいはそれを大学の組織がまねをしているのでしょうか。

 責任者が責任を取らない時代へと、いったい日本はいつから落ちぶれてしまったのでしょうか。トップの人間が下の人間、現場の人間にプレッシャーを与えて悪事を働かせておいて、いざそれが表面化すると、自分自身の関与は否定する。現場の人間が「忖度」(そんたく)したのだろう、と開き直る。このような体制においては、トップの責任は永遠にうやむやのままです。

 現場に問題があったときに、その管理責任を問われるのが、責任者です。ましてや現場に対して直接指示をしていたともなれば、管理責任だけではなく、命令、指揮の責任を取るのが当然です。

 この基本的な原理を失ってしまった組織は、もはや組織とは呼べません。輝かしい伝統を築き上げてきた日大アメフト部ですが、この体制では復活は難しいかもしれません。

 また、大学は教育の場でもあります。部活動を通して、強い精神力と豊かな人間性を育むことが、そもそもの狙いであるはずです。その意味でも犯罪とさえ言えるほどの危険行為を故意に行わせたことは、致命的な立場に日大経営陣を追い込むことになるでしょう。

 23日の会見では、その重い責任さえ、当事者がまるで意識をしていないかのようでした。重大な危険行為さえ、反則に毛が生えたものという甘い認識を、言葉の節々から感じました。自分たちは熱心に指導しただけで、その思いが適切に選手に伝わっていなかっただけだ、と最後まで言い逃れをしていました。あたかも宮川選手個人に問題があったかのような、不遜な言い分です。

 記者会見の場に、責任者がなかなか出てこない。ようやく会見に出てきても、ひたすら保身に走るだけで、自分は現場に指示していない、もしくは現場を動かすような指揮監督は行っていないと関与を否定する。このような風潮が国民の中に蔓延してくると、人々は責任者のわざとらしい言い逃れに、だんだん慣れっこになっていくような気がするのです。私はそれが一番恐ろしいことだと思います。
2018年5月25日、日大アメフト部の選手による反則タックル問題に関して会見する日大の大塚吉兵衛学長(桐山弘太撮影)
2018年5月25日、日大アメフト部の選手による反則タックル問題に関して会見する日大の大塚吉兵衛学長(桐山弘太撮影)
 どんなことであろうと、「トカゲの尻尾切り」は絶対に許してはなりません。現場に責任をなすりつけてはいけません。体育会はスポーツマンシップを大切にすると同時に、強い縦社会でもあります。

 監督やコーチの言うことは絶対です。その体育会で、悪事を強要された選手が、これに逆らうことはできませんから、今回の日大アメフト部の事件は、監督やコーチが実行犯と言えます。選手は教唆(きょうさ)されたというより、駒に使われたというべきでしょう。

 組織は実体をごまかすのではなく、世に開示して、責任の所在をはっきりさせる義務があります。その過程を経ずして、日大のアメフト部を復活させることはできないのではないかと思います。

 そして我々国民の側にも、あいまいな責任逃れの言い訳は、絶対に認めないという強い覚悟と、真相を徹底追求する姿勢が、今求められているのではないでしょうか。