(デアゴスティーニ『週刊 栄光の日本海軍パーフェクトファイル』より)

 「雪風」は太平洋戦争を生き残った唯一の艦隊型駆逐艦だ。ソロモンの死線をかいくぐり、数々の海戦に参加し、そして戦艦「大和」の最期も見届けた「幸運艦」とも「死神」とも呼ばれた雪風の真実とは。

 日本海軍随一の幸運艦として名高い「雪風」は、「陽炎」型駆逐艦の八番艦として昭和15(1940)年1月20日に竣工し、翌年の昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦時は姉妹艦4隻で第十六駆逐隊(十六駆)を編成してフィリピン攻略作戦に参加している。

 雪風によって初陣となる最初の氷上戦は、インドネシア攻略に伴うスラバヤ沖海戦(昭和17年2月27日から3月1日)である。だが、この海戦では雪風に戦果はなく、同年6月5日に起きたミッドウェー海戦も空母機動部隊同士の対決で勝敗が決したため、活躍の機会はなかった。

 そんな雪風の活躍が始まるのは、ガダルカナル島争奪戦の開始に伴い、ソロモン方面に進出した後からである。米空母「ホーネット」を撃沈してミッドウェー海戦の仇をとった昭和17年10月26日の南太平洋海戦における雪風は、空母「瑞鶴」の護衛として対空戦闘に奮戦し、不時着搭乗員の救助活動も行い、これにより連合艦隊司令長官山本五十六大将から感状を受けている。

 ガダルカナル島の米軍飛行場砲撃にともなって発生した第三次ソロモン海戦(第一夜戦、昭和17年11月12日)は、日米両軍の船艇が入り乱れる大混戦となった。その中で奮闘していた雪風は、さらに行動不能となった戦艦「比叡」の援護にあたったが、比叡は自沈し、雪風は他艦と共に比叡艦長西田正雄大佐ら乗員を収用して帰投した。

 雪風は昭和18年2月のガダルカナル島撤退作戦にも参加。小舟艇による撤退に方向転換しようとした第八艦隊司令部と陸軍が対立するが、雪風の管間艦長は「濱風」艦長と共に駆逐艦による撤退作戦の継続を主張、作戦を成功に導いた。なおガダルカナル撤退戦について、米太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将は「見事な手腕であった」と賞賛している。
ソロモンの激闘を戦い抜いた駆逐艦「雪風」
ソロモンの激闘を戦い抜いた駆逐艦「雪風」
 だがすべてが上手くいったわけではない。同年3月2日から3日にかけてのニューギニア輸送作戦(81号作戦)では水面近くで爆弾を投下、跳ねさせて敵に命中させる米陸軍航空隊の新戦術、反跳爆撃(スキップボミング)によって輸送船団は壊滅、護衛の駆逐艦も雪風の姉妹艦「時津風」を含む4隻が撃沈される敗北を味わう。

 苦闘の続くソロモン・ニューギニア戦線だが、昭和18年7月12日のコロンバンガラ島沖海戦は、日本水雷戦隊が夜間戦闘において、なお恐るべき存在であることを証明した。

 この海戦で日本海軍は二水戦旗艦「神通」を失うが、雪風ら駆逐艦は最初の雷撃の後も魚雷を再装填し反撃、最終的に米駆逐艦1隻を撃沈、軽巡2隻、駆逐艦2隻を撃破すると同時に、輸送作戦も成功させる勝利をおさめた。