もっとも、こうしたスキャンダルが日本の国益上、大した損害を与えていると認識されなかったのは、それが「経済力だけは大きいが対外影響力は乏しい」国の出来事であったからである。しかも、往時は「『永田町』が混乱しても『霞ヶ関』がしっかりしているから、大した問題ではない」という理解は、半ば自明のように受け入れられていたのである。

 しかしながら、平成に入って以降の日本が直面したのは、「バブル崩壊」後の長期にわたる経済低迷の一方で、「国際貢献」の名の下に一層の対外関与が要請される状況であった。そして、現在に至って、日本の立場は「経済力の減退を対外影響力で補わなければならない」というものに変質しているのである。

 筆者が指摘する「対外意識の希薄」とは、「経済力の減退を対外影響力で補わなければならない」日本の立場を顧慮せずに、専ら国内統治案件の議論に熱を上げる様子を指している。北朝鮮情勢の展開次第では、日本を取り巻く国際環境が激変するかもしれない局面で、「森友・加計」問題の議論に過剰な精力が費やされている現状は、その典型的な事例であるといえる。

 しかも、「対外影響力」を担保する条件の一つが、政治指導者が築いた人的ネットワークの豊かさである以上、こうした国内政局の紛糾の結果として、安倍首相が国際政治の舞台から退場することになれば、それが日本の国益に及ぼす影響は甚だしいものになるであろう。

 また、筆者が指摘する「民主主義理解の貧困」とは、民主主義体制下であればこそ政治人材の発掘と養成は重大な課題であり、政治人材は「取り換え引き換え」のできる存在ではないという理解が浅いという様子を指している。

 日本では、なぜか政治人材に関してだけは、「使い切る」とか「もったいない」という感覚が働かないようであるけれども、そうした様相は、民衆の当座の感情で政治が直接に左右されるという意味での「ポピュリズム」や「モボクラシー(衆愚政治)」の傾向を加速させるのである。
2018年4月、米フロリダ州パームビーチで行われた会談で、トランプ米大統領と握手する安倍首相(共同)
2018年4月、米フロリダ州パームビーチで行われた会談で、トランプ米大統領と握手する安倍首相(共同)
 世間には、筆者を「安倍応援団」の一人だと観る向きがあるかもしれないけれども、筆者は、そのように自ら思ったことは一度もない。筆者が支持し応援しているのは、あえて言えば「安倍内閣下の対外政策展開」や「日本の外交」であって、安倍晋三という政治家お一人ではない。当節、「何が重要か」を見誤らない議論が大事であろう。