柳澤協二(元防衛省幹部、国際地政学研究所理事長)

 「安倍晋三首相は退陣すべきか」という今回のテーマだが、その問題の立て方には、必ずしも同意できない。自民党の中に、異次元金融緩和や日米同盟強化路線に対する小さな異論はあるものの、安倍首相の政策に代わる経済・安全保障のビジョンを描く政治勢力は存在しない。そして誰がやっても安倍政治の継続となるのであれば、首相が退陣してもしなくても、日本の国家戦略は変わらないからだ。

 しかし、財務省による行政文書改ざんやセクハラ疑惑、防衛省の日報隠ぺい疑惑、幹部自衛官による野党議員への暴言など、首相を頂点とする行政機構の不祥事が同時多発的に起きている現状を見ると、指揮官の統率力の問題を考えないわけにはいかない。

 組織が弛緩(しかん)して問題が噴出すると、組織は問題処理に追われてエネルギーを浪費し疲弊する。その疲弊が新たな問題を生んで、負のスパイラルが無限に続いていく。組織の構成員は責任を押し付け合い、自己保身に走る。これは「負け戦(いくさ)」のパターンである。

 「負けること」自体が問題なのではなく、負けが士気を阻喪(そそう)させることが問題なのだ。それを食い止めることこそ、指揮官の最大の役割となる。そのためには、一時の負けが次の勝利に結びつくことを納得させ、自軍の精神的優位を信じさせなければならない。

 森友問題について言えば、国有地を安価に払い下げたことが法律上適切だったかどうかを論じるのではなく、日本全体にとって安ければ安いほどよかったという道義的確信を持たせなければ、何のために現場が無理をして値下げしたのかが分からない。

 国民に分からせる以前に、動いた現場が納得しなければならない。そうでなければ、「危ない橋」を渡る現場の士気が上がるはずはない。

 「所詮は上が決めることだから言う通りにしておけ」という気分で仕事をすれば、誰だってミスをする。その責任を現場に押し付けられれば、現場は中央を信用しなくなる。安倍首相は「最終的責任は内閣の長たる自分にある」と言っている。

 だが、その責任とは「膿(うみ)を出し切って信頼を回復すること」だ。「膿」は現場にあって、首相自身にはないことを前提としている。

 もちろん、ヘマをやった実行者は罰せられるべきだ。だがそれは、取り締まりの原理であって、組織統率の原理ではない。首相辞任か担当大臣の辞任かはともかく、「現場のミスがこんなに大きな結果を招く」ことを思い知らせてこそ、組織の緊張感がよみがえる。

 クラウゼヴィッツは、戦争を政治目的達成の手段と位置付けている。戦略とは、実現しようとする目標達成のために個々の戦闘をいかに組み合わせるかを考えることだ。それは、使うものが戦闘か外交か、あるいは法律、司法、マスコミなど、その手段に違いはあっても複雑な組織を使って目的を達成する「術」である政治戦略にも適用できる。

 クラウゼヴィッツの「戦争論」は、戦争が人類の事業の中で最も錯誤に満ちた営みであることを強調している。組織が大きくなり、相互の連携が複雑化するほど、一つの錯誤が全体に影響する。

 戦争でも政治でも、指揮官が自らの意図を正確に伝えず、各部署が勝手に忖度(そんたく)して動くならば、錯誤は必ず起きる。現場は自らの役割を理解できず、何もしないか余計なことをするか、右往左往してやがて疲弊し、機能を停止する。