指揮官の役割は、達成可能な目標を明確に定め、そのために投入する十分な資源を配分することだ。思い通りにいかない場合には速やかに目標を変更すると同時に、その時々の目標を全軍に徹底しなければならない。

 クラウゼヴィッツは、戦争は3つの要素で構成されると言っている。「戦争の三位一体」すなわち、感情の主体である国民、戦場の錯誤を乗り越えるアートを備えた将帥、そして戦争の目標を合理的に判断する政府がそれだ。

 これを戦争ではなく政治目標の達成という観点で言い換えれば、政治を構成する「三位一体」は、国民の支持、難局を乗り切る指導者のアート、そして合理的に設定された政治目標ということになる。

 指導者のアートに属する官僚機構の統率が上手くいっていないことは、すでに見てきた。また、国民の支持が低迷していることも疑いようのない現実となっている。問題は、達成すべき政治目標が分からないことだ。

 安倍政権は、秋の自民党総裁選を控えて支持率の回復を目指しているが、「安倍政権の維持」は目標達成の手段であって、日本という国にとっての政治目標ではない。

 だから、「安倍首相は退陣すべきか」という問題の立て方が、やはり間違っている。日本の政治目的は、人口構成の変化に応じた日本社会の持続可能な再生と、変転する国際社会の力関係に合わせた安全保障目標の再定義でなければならない。誰を首相にするかは、そのための手段にすぎないからだ。

 今、議論すべきは企業の国際競争力や物価上昇率に着目するアベノミクスか、貧富の格差是正と負担と分配の公平に着目した新たな福祉国家的経済政策か、という大きな経済・社会のビジョンである。

 安全保障について言えば、中国や北朝鮮の脅威にどう対抗するかが問われている。脅威は、能力と意志の掛け算で定義される。中国・北朝鮮の軍事能力を止められない現実を前に、軍事バランスの観点から、力不足をもっぱらアメリカに頼る日米同盟強化路線がとられている。

 それはどこまで可能なのか。むしろ、相手の能力よりも意志に着目して、軍事力ではなく政治力をもって侵略の意志をなくす、そのためにはアメリカとの意見の違いも覚悟する方向に舵(かじ)を切るかが問われている。

 そういう大きな政治目的の絵柄を考えておかなければ、経済・社会の強靭性、安全保障の柔軟性が失われ、変転する世界の中で生き残れない国になってしまう。安倍首相以外に選択肢があるかどうかが問題ではない。「安倍的な政策」以外の選択肢があるかないかが問題なのである。