小林信也(作家、スポーツライター)

 日本大学アメリカンフットボール部の「危険タックル問題」が連日メディアで報じられ、議論が続いている。騒動が起こって2週間が過ぎた辺りから「これほど騒ぐのは異常」との指摘もネットでは出始めているようだが、それはこの問題の本質や全貌をよく見ていない傍観者の呟(つぶや)きではないだろうか。

 職場や社会においてパワハラの排除が進む中、いまだにスポーツ現場では、選手や子どもの心を踏みにじる監督・コーチの高圧的な指導がはびこっている。今回の出来事は、そんな旧態依然のスポーツ界に刃が突きつけられた出来事だと感じている。

 これまで不祥事が起きても当事者の問題を追及するだけでスポーツ界の体質そのものにはメスが入れられなかった。私はこれまで一貫して不祥事の温床がスポーツ界にあり、単に個人の問題として片付けるべきではないと主張し続けてきた。

 スポーツ界においては、パワハラや昔ながらの精神論、根性論が勝利によって美談にすり替わるカラクリがある。多少の厳しさは仕方がなく、勝つためには必要であるといった世論は崩されないまま今日に至っている。

 女子レスリングのパワハラ問題もその一例だろう。「栄和人監督が伊調馨さんにそんなひどいことをしているとは思わなかった」という感想が大勢だろうが、栄監督の厳しさは十分承知されていた。それでも「金メダル」という結果が出て、選手が感激の涙を流せば、たとえパワハラ監督でも理屈抜きに「名将」と呼ばれ、世間はもてはやす。高校野球もその典型である。

 相手に重大なケガをさせるプレーを選手に指導し、励行(れいこう)させるチームは少なくない。強いチームがそれをやれば、「同じようにやらなければ勝てない」と考えるチームは当然出てくる。私が昨シーズンまで監督を務めていた中学硬式野球でもその影響が及んでいた。強い高校のまねをして、ルール違反ぎりぎり、というよりも実際にはルールに抵触しているのだが、巧みに審判の目をごまかすプレーにしばしば直面したことがある。

 「勝てばいい」という価値観が日本のスポーツ界、少年野球などのジュニア世代の現場にまで広がっている。本来は、もっと大切なものが当然ある。勝利はゲームの目的であっても、その競技に取り組む究極の目的ではない。日大フェニックスの伝統を創った篠竹幹夫元監督も「勝負は結果にすぎない」と繰り返し語っていたという。今では短絡的に「勝てばいい」の発想がまん延し、日本のスポーツ状況はさらに貧しくなってきていると思う。
会見する日本大アメリカンフットボール部の井上奨コーチと内田正人前監督(右)=2018年5月23日、東京都千代田区(松本健吾撮影)
会見する日本大アメリカンフットボール部の井上奨コーチと内田正人前監督(右)=2018年5月23日、東京都千代田区(松本健吾撮影)
 話をアメフトに戻そう。内田前監督が関西学院大学との定期戦後の囲み取材で語った「選手はよくやった」「もっといじめますけどね」といった言葉(出典・週刊文春オンライン)にも、問題の本質がにじみ出ている。

 メディアや世間では「動かぬ証拠」が必要であり、「監督の指示があったのか、なかったのか」ということが重大な論点になっている。確かに、訴訟であれば証拠の積み重ねは必要だが、これはスポーツの現場で起こっていることであり、そもそもパワハラは心の問題である。監督やコーチが選手の心にどんな作用を与えようとしているか、指導者と選手の関係のいびつさこそが問題なのである。