今、賢い政府に変えるための地方分権の推進も、官民の役割見直しも、事務事業の民営化も、道州制移行など新たな統治の仕組みの議論も、みなどこかへ消えている。これが今の政治状況だが、間隙(かんげき)を縫うように政治家と官僚が融合し、国と地方の役割があいまいな中央集権体制の元でぬくぬくと国家官僚が跋扈(ばっこ)している。

 大きくなり過ぎ、動きの鈍くなった会社を蘇らせる手法は、事業部制や分社化など組織規模の適正化を図るところから再構築が始まる。働いている社員が元気になるのも「仕事と成果の見える化」があってからこそだ。誰が決め、誰が責任を負っているのか、どうせ誰かやるだろう、こんなことをしてもばれない、といった組織風土の蔓延が組織を堕落させる。

 こうした問題認識からいうと、国の官僚機構を立て直すには日本官僚制の組織規模の適正化を図るしかない。東京一極集中は意思決定の一極集中を指すが、それを変えるには大阪に副首都を形成し、首都機能の3分の1ぐらいを大阪副首都に移す。なおかつ内政の決定権の多くは国民の身近な政府に移し、分権国家化の切り札とされる「地方主権型道州制」へ移行することではないか。

 それが国民を元気にし、地方創生が実を結ぶ最短の道である。身近な自治体である州政府を内政の拠点に据えれば、税金の集め方も使い方も情報の管理も透明性が高まる。ましてや、陳情請願を繰り返す「意味不明の忖度政治」も消える。

 それを実現するのが大阪都構想の最大の目的である。今、大阪の副首都化を目指し、さまざまな都市づくりの試みが始まっている。「2025大阪万博」も大阪IR(カジノを含む統合型リゾート)構想もリニア早期敷設も、その一環と見てよい。

 そこで、それにふさわしい統治の仕組み、つまり司令塔一本化によるオール大阪づくりと中心部の基礎自治充実を目指す特別区移行の「大阪都構想」は一体の改革テーマだ。この2つを総称するなら「大阪大改革構想」と呼んでもよい。  

 本来、これは一地方に委ねるテーマではなく、国を挙げて実現すべき改革である。これが実現していくことで、東京一極集中は大きく抑制され、日本経済も発展するのは明白だ。

 誤解があるようだが、大阪都構想は何も「橋下構想」でもなければ、270万都市大阪を4つに分割する分割統治の話でもない。1956(昭和31)年の政令市制度ができて以降、狭い府域で大阪市と大阪府の二元行政、二重行政によるエネルギーの消耗、意思決定の不統一によって関西全体が地盤沈下してきた経緯を忘れてはならない。

 その衰退を食い止める切り札、司令塔一本化構想が大阪都構想である。歴代の府知事、大阪市長が「府市合わせ(不幸せ)」状況に終止符を打とうともがいてきたが、誰もできなかった。そこに終止符を打とうというのが、維新政治を誕生させた市民の問題意識であったはずだ。

 大阪都構想は単なる府政、市政改革ではなく、大阪の意思決定の仕組みを変える改革である。いま「区」という呼称の下、特別区と総合区が並行して議論の俎上に載っているが両者は似て非なるモノ、全く意味が違う。「区」という呼称に惑わされるべきではない。

 聞いていると、総合区と特別区のどちらが安上がりかといった金目の話ばかりしているが、本筋はそこではない。数年前の法改正で制度化された総合区は、60年以上経つ政令市の内部出張所の行政区を拡大充実させようという策に過ぎない。それは中規模市に相当する自治権のある特別区をつくることとは全く違う(図参照)。
 特別区は自己決定・自己責任・自己負担の原則で地域の政治行政を運営する地方自治体のことだが、総合区は大阪政令市の中を行政便宜上幾つかに分けて管理しようという拡大行政区に過ぎない。実はカネがかかる割にメリットは少ない。大阪市以外の19政令市のどこも総合区を使う動きがないのは、そのためである。