産経新聞長期連載「私の拉致取材 40年目の検証」を大幅に加筆した『メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道』(産経新聞出版)の著者、阿部雅美元産経新聞社会部記者が今年3月、拉致被害者、横田めぐみさん(53)=拉致当時(13)=の両親、横田滋さん(85)、早紀江さん(82)に取材した。

 《取材は3月4日、川崎市で行われた。滋さんは杖(つえ)をつきながら、早紀江さんに支えられて姿をみせた》

 阿部雅美氏(以下、阿部)「本当に懐かしい。ここに最初にうかがったのは1997(平成9)年1月でした」

 《訪問は新潟市の自宅周辺で77(昭和52)年11月15日に行方不明になった横田さん夫妻の長女、めぐみさんについて取材するためだった》

 阿部「自宅には滋さんが一人でいらして、現場の地図を描いて説明してくださった。行方不明になったときの地元紙の記事など資料も全部出していただいた。今でもよく覚えています」

 《当時、「北朝鮮に拉致された13歳の少女」の情報があり、めぐみさんの可能性が高まると、元共産党議員秘書の兵本(ひょうもと)達吉氏が横田夫妻の自宅を探しだし、拉致の疑いを電話で一報していた》

 横田早紀江さん(以下、早紀江)「阿部さんは当時からまったくお変わりなくて」

 阿部「髪が真っ白になって年を取りました。今回は私の『最後の拉致取材』。そういう思いでおじゃましました」

 早紀江「そんなことおっしゃらず、元気でいていただかないと。年を取ったのはお互いです。私たちなんて、本物の老人になってしまいました」

 《集会などで顔を合わせることはあったが、じっくり話をするのは十数年ぶりのことだ》
元産経新聞記者の阿部雅美さん(右)と対談する横田滋さん(中央)、早紀江さん夫妻(宮崎瑞穂撮影)
元産経新聞記者の阿部雅美さん(右)と対談する横田滋さん(中央)、早紀江さん夫妻(宮崎瑞穂撮影)
 阿部「それで、兵本さんから連絡が来たとき、滋さんが『今日、なんだか変なことがあったよ』と早紀江さんに話す。『何なの』と聞くけど『うーん』と考え込んでいる。滋さんの柔らかく木訥(ぼくとつ)な人柄が出ている。そして、早紀江さんはすぐ『めぐみちゃんのこと?』と察した」

 早紀江「実際に、めぐみちゃんのことだったから、余計にびっくりしたんですよ」

 阿部「だいぶ前になりますが、80年に『アベック連続失踪』を産経が書いたとき、近所の方が『こんなのがある』と新聞を持ってきた。そのときも早紀江さんは『ひょっとしてめぐみちゃんもこれではないか』と思い、産経の新潟支局に足を運ばれた」

 早紀江「すぐに、めぐみちゃんのことだ、と思いました。何も分からない中で、ピンとくるものがありました」

 阿部「当時、アベックにこだわりすぎました。めぐみちゃん失踪のことは、まったく知らなかったし、たとえ知ったとしても、拉致と関連づけることはできなかったと思う」

 《アベック連続失踪に外国情報機関(北朝鮮工作機関)が関与している疑いをスクープした記事は他のメディアから黙殺された。めぐみさん拉致疑惑が報道されるのは97年。約20年間、拉致問題は「氷河期」が続いていた》

 阿部「アベック失踪や、めぐみちゃん拉致を記事にしたが結局、何も変わらなかった悔しさがある。もっと早く、しっかり拉致のことを書いていれば時計の針は早く進んだ。メディアがちゃんとしていれば、結果は違ったのではないか。報道しなかったことの責任も忘れてはいけない。日本社会全体もこの異様な歴史を忘れてはいけない」

 早紀江「まさに、その通りだと思います。忘れてはいけないですね。拉致問題はなかなか動きませんが、当時、あれだけ動かなかったことが、一つの報道を通して動き始めた」

 阿部「忘れてはいけないことは、まだあります。日本の海の守りの貧弱さも、その一つです」

 《日本各地の沖合にたびたび出現していた不審船。海上保安庁法が改正されるなど、厳格な取り締まりに向けて舵が切られた2001年には、奄美大島沖で北朝鮮の工作船が海上保安庁の船と激しい銃撃戦となり、工作船が自沈する事件も発生した》

 阿部「九州(奄美大島)沖の時にしっかり対応して以降、不審船事件はありません。日本がきっちりと対応すれば工作船なんて来られなかったし、拉致など起きえなかった」

 早紀江「分かっている部分がありながら、そのままにしていたところもあるんでしょう。のんびりしていた、ということなんでしょうね」